最果ての熱砂19

 手伝いますとか言っといてアレだが正直料理の腕に自信はない。刃物を扱うという点で言えば共通項はあるものの当たり前だが刀と包丁では勝手が違いすぎる。テキパキと私に指示を出す家永さんに「ハイ」と返事をして目の前の野菜たちをどう切ればいいのか悩んでいたのだが、その様子を後ろの壁に寄りかかって静かに見守る尾形さんの視線が痛くて堪らなかった。これでは付き添いというより監視だ。無遠慮に背中へ突き刺される視線のせいで集中できず野菜を切る手が進まない。視線の主が「まだかかるのか」と感情のこもっていない様子で呟いたのでこれは自分が聞かれているのか?と戸惑いながら家永さんをちらっと窺うと手際よく肉を捌いていた彼女……彼が「もう間もなくできあがりますよ」と鳥の囀るような可愛らしい声で答えた。
 手をぷるぷると震わせながらなんとか野菜を切り終えると家永さんはそれをざざっと鍋にぶちこんだ。お鍋の良いところは適当に切った食材を適当に煮込むだけでも大抵の食材を美味しく食べられるところだと思う。そういった意味で私はお鍋が好きだ。

「あとは運ぶだけですのでもう結構ですよ。さん、ありがとうございました」
「あ、いえ……」

 自分がしたことといえばひとつの野菜を長い時間かけて丁寧に切っただけであり正直役に立った感は皆無なのでお礼を言われると逆に申し訳なくなるくらいなのだが。鼻歌でも歌いだしそうなご機嫌な様子でお皿を用意する家永さんに運ぶのも手伝いますよ、と言おうとしたら尾形さんに「おい、もういいんだろ」と首根っこを掴まれそのまま引きずられながら厨を後にした。

「あの……!自分で歩きますから、その動物みたいな扱いやめてくれませんか?」
「大尉殿は日露戦争で受けた怪我の回復が見込めず退役なされたと聞いたが」
「はい?」
「お元気そうでなによりですな」
「それ、もしかして自分に言ってます?」
「あんた以外に誰がいるんだ?大尉殿」
「……ちょっと何言ってるのかわかりかねますが」
「杉元たちには秘密なのか?」
「秘密っていうか…………」

 現役の頃とは外見が全く違うので誤魔化しておけばバレることはないだろうと思っていた。現にキロランケさんは自分の顔に見覚えがある、とは言っていたが結果的に気のせいだと思ってくれた。当時の私は男のような短髪で軍帽を目深に被っていたことに加え人前で帽子を脱ぐことも殆どなかったからきっと顔の印象はほぼ残っていないはず……だったのだけど。彼も第七師団らしいのでたしかに日露戦争で顔を合わせた可能性は高いが私は尾形さんと会話したことはおろか会った記憶もないのだ。それなのに記憶の曖昧だったキロランケさんとは違い断定的な物言いをしてきた。どこかからいつの間にか姿を見られたにしても記憶力良すぎだろう。まあ必死に隠しているというわけでもなくただ単に説明するのが面倒くさいというものぐさな理由でふにゃふにゃと誤魔化してきただけなので尾形さんの質問にもどうしたものかと喉を唸らせた。

「……もう退役した身ですので、これからは平穏に暮らしたいと思ってます」
「金塊に関わった時点で平穏もクソもねえだろ」
「そ……そうですけど……でも」
「でも?」
「ちょっと楽しいです」
「殺し合いがか」
「いやそうじゃなくて……誰かととりとめのない話をするのが、です」

 杉元さんたちは私をひとりの人間として見てくれる。なにより「大佐の娘」と呼ばれないことがこんなにも身を軽くしてくれるなんて思いもしなかった。この短い期間に初めてとも言うべき経験をたくさんしてきたがそのほとんどはくだらないことばかりで私ってこんなに笑えたんだなあなんて自分自身に感動したほどだ。きっと同期たちが今の自分を見たら別人だと思うに違いない。そうやってこれまでの出来事を思い出して苦笑する私を尾形さんが不思議そうに見ていた。

「尾形さんも、階級で呼ぶのはやめてくださいね」
「端からそのつもりはねえよ」
「でしょうね……最初からがっつり名前呼び捨てでしたもんね」
「あんたの本当の名前は何だ?」
「……ですけど」
「そっちじゃねえ」
「それは、気が向いたらお教えします」

 光を宿さない黒い瞳は何を考えているのか全く読めない。尾形さんは不服そうにしていたけど「食事の前にその汚れをどうにかしてきてください」と半ば無理矢理井戸の方へ押しやったら意外にも大人しく退却してくれた。さきほど作った「なんこ鍋」は人間剥製の間に運ばれていた。内心こんなところで食事とか全然食欲わかない……と思いつつ全員が着席できるような広い部屋はここだけだったので仕方がない。私が部屋に入ると身綺麗になった杉元さんが「何もなかったか?」と心配そうに尋ねたので笑顔で「なにもありませんでしたよ」と答えた。

「で、尾形は?」
「井戸の方へ行きましたよ」
「ふぅん……」
「どうかしましたか?」
「いや」
「それにしても、すごい爆発だったみたいなのにかすり傷で済んだんですね」
「まあ、爆風で飛ばされただけだからな。それよりもガスの方がキツかった」
「……ご無事でなによりです」
「そういえば、家永のやつ妙なもん入れてなかっただろうな?」
「入れてなかったですよ。尾形さんも見てましたし」
は何を手伝ったの?」
「……野菜を……切りました」
「あんた料理できたんだな」
「いや、できるわけではないんですけど」
「杉元、。よそうから器を寄こせ」
「はい、アシリパさん」

 なんこ鍋は空知地方の郷土料理で、「なんこ」とは馬の腸という意味だそうだ。それを聞いた途端にキロランケさんが噴きだしたのだがもしかして馬肉が苦手なのだろうか?あっつあつのなんこ鍋をふうふうと冷ましながら少しずつ口に運ぶ。美味しい。幸い自分が切った不揃いな野菜もしっかり煮込んだお陰か味噌の色で隠れているせいか全く気にならない。ていうか、口に入ってしまえば一緒なのだ。あまり気にしないでおこう。美味しいお鍋に顔を綻ばせる私だったが周りはズーンと重い空気につつまれている。杉元さんが「あんたらその顔ぶれでよく手が組めてるな」と私たちの左側に固まって座る土方歳三一派に向かって言った。一時休戦とは言いつつも仲良こよしができるわけでもないのは重々承知しているけど食事くらい静かに済ませたい。

「特にそこの鶴見中尉の手下だった男……。一度寝返った奴はまた寝返るぜ」
「杉元……お前には殺されかけたが、俺は根に持つ性格じゃねえ。でも今のは傷ついたよ」

 この二人、怖すぎるんですけど……。寝返るという行為に何か嫌な経験でもあるのだろうか、杉元さんは尾形さんに対して人一倍の不信感を抱いているようだ。「食事中にケンカすんなよ」の一言で二人の不穏なやり取りはそこで終了し、話題は贋物の判別方法に移っていった。熊岸長庵、という美術品の贋作師がいるらしい。確実に判別できる、とは言えないものの今の私たちは判別する方法など持ち合わせていないのだからとにかくなんでも頼るしかない。月形の樺戸監獄に収監されているという熊岸さんに会いに行くという目的ができた私たちだが、まずは一緒に爆発に巻き込まれたという軍曹の安否を確かめないことにはここから動けないのでそれと同時進行でこの江渡貝剥製所に残されている筈の手がかりも探ることになった。

「人間剥製に残された皮と贋物の刺青人皮に共通点が必ずあるはずだ。きっとこの家に手がかりが残されてる」
「うーーん……」
「なにか見つかったか?」
「あ、いや……これなんていう鳥かなあと思って」

 鳥の剥製を前に腕を組んで考えていたけど土方さんも「生憎動物には詳しくなくてな」と肩を竦めた。物語の中でしか知らない新撰組の、それもあの有名な鬼の副長とこうやって会話できる日がくるなんて……なんだか感慨深いというか不思議な気分だ。しかもその内容が鳥の話だなんて想像もできなかった。「その刀は和泉守兼定ですか?」と尋ねてみたら少しだけ驚いたような顔になったが直後にどこかからなにかが割れるみたいな音が聞こえて一瞬で和やかな雰囲気は消えてしまう。尾形さんが銃を構え、音のしたであろう部屋の様子を伺うと火炎瓶か何かを投げ込まれたようで人間剥製の間が炎に包まれていた。第七師団の追手が来た……ということは、月島軍曹は生きて帰ったということだろう。
 尾形さんが「外の連中を玄関まで追い込む」と言って2階へ駆け上がる。今この屋敷に残っているのは土方さん、尾形さん、家永さんに私の4人だけである。広範囲を見渡せる分私たちは少しだけ有利だがそれでも敵の数が多すぎる。土方さんは口元に人差し指を当ててから身振りで「そこに隠れろ」と私に合図を出したあと、玄関扉に向かって装弾していた5発すべて撃ちこんだ。そのウィンチェスターライフルに弾薬を装填する少しの間私たちがいる1階はしんとしていて、尾形さんが2階から発する発砲音だけが断続的に響いていたがそれも僅かな間だけですぐに第七師団が玄関を破って突入してきた。入ってきたのは3名で一人は隠れていた私を通り過ぎて2階へ上がり、もう一人は土方さんともみ合っている。
 最後の一人が1階の部屋をひとつひとつ開けて敵の有無を確かめているようだったので、私はそろりと近づき刀を振りかぶる。殺さないように、急所を外して……ごくりと唾を飲み込んで振り下ろすと動きを読まれていたのか小銃で弾かれてしまった。その反動でぐらりと体勢を崩したのを見逃さず軍服の男は一歩踏み出して銃口で私の腹を突いてきたので一瞬息が詰まり視界も眩んだ。きっと自分を守るための迷いから隙が生じてしまったのだ……やっぱり私は甘いのだろうか。それでも殺してしまったら後悔することだけは確かだ。流されてばかりの人生だったけどこれからは自分で考えて自分で決めて生きていこうと決意したことを思い出した。息苦しさに涙を浮かべながら目を開けると男が私の顔面に銃口を向けて引き金を引こうとしているのが目に映り身を捩ったが間に合わず、ダンッと煩い銃声のあと左肩に焼けるみたいな痛みが走る。痛い。こんな痛みを感じるのは久しぶりだ。歯を食いしばって起き上がると男は再び私に銃を構えたので身を低くして男へ突進し今度こそ、とばかり男のわき腹へ峰打ちをお見舞いした。が、「ぐっ」と苦しそうなうめき声を上げたものの斃すまではいかず男は銃床を天井高く振りかぶり必死の形相でそれを私めがけて振り下ろそうとしていた。

 自由になった、と思った途端にこれだ。所詮私は何からも逃れられない運命だったのだろうか。死を前にして薄く笑った瞬間にまたしても至近距離で銃声が鳴り響く。「しっかりしろ!」と叫びながら私を起こした杉元さんが自分の首に巻いていた襟巻で傷口をきつく締め付けた。血が付きますよ、と断る間もなく杉元さんの温かな手が私を強引に引っ張って出口へと向かっていく。こんなに頼りない私を助けてくれるというのですか。私は貴方のために何一つできることがないというのに、無力でちっぽけでなんの役にも立たないというのに。

 それでも手を引いてくれる杉元さんが私には暗い暗い地獄に下ろされた一本の蜘蛛の糸みたいにきらきらと輝いて見えた。