杉元さんが第七師団に連行されたあと、私はまたしてもこっそりそのあとを追った。着いた先はもちろん第七師団の兵営だ。小樽の兵営は小さなもので入口の警備も一人だけだった。そのうち出てくるだろうかと暫く待ってみたが、杉元さんどころか人の出入り自体がなく兵営は静まり返っている。忍び込むことは難しくなさそうだが、なにしろ相手は天下の帝国陸軍である。バレたらどうなることか、想像するのも恐ろしい。
幸い忍耐力には自信があったので物影に隠れて息を潜め、彼を待つことにした。が、何時間経っても変化は起きず、やがて夜になった。流石に体が冷えてきた、と私は自分の腕を摩る。そもそも私は何故ここに来ているのか。自分にも明確な理由はわからない。ただどうしてもあの男の安否が気になって仕方がなかった。それだけの理由で何時間も寒空の下じっとしているなんて正気の沙汰ではない気がしたがこのまま帰ったらきっと後悔するだろうなと、なんとなくそう思った。
せめて上着だけでも取りに帰ろうか、と思いながらなんとなく周りを見ると二つの影が目に入った。あの時杉元さんと一緒にいたアイヌの少女だ。少女の傍らには丸っとした白い犬……だろか。わからないが大きな動物も見える。それともう一人、坊主頭の男も立っていた。あの男には見覚えがないが、アイヌの少女が一緒ということは恐らく二人で杉元さんを助けにきたのだろう。そうであれば好都合だ。情けないことだが自分一人では何もできない。杉元さんとは今日が初対面でほぼ知らない人だけれど、助けたいというのは本心なので目的が一緒なら協力することはできる。
「あの~……」
「うわっ!」
「ぎゃああああ!!」
「あ……すいません」
後ろからそっと声をかけたつもりだが思いのほか驚かれてしまい逆にこっちが驚いた。坊主頭の男に至っては幽霊でも出たかのような悲鳴を上げていてなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。アイヌの子供は私に気づいたらしくてあっと声を出した。
「たしか、あの時の……」
「どうも。と申します」
「アシリパだ。こっちはレタラ」
「え?なに?知り合いなの?俺は白石由竹、独身で彼女はいません」
「……あ、え?はい……」
随分と軽いノリの男だ。背後にきらきらした何かを背負った白石さんは自分に向かって手を差し出していたがその手を取るべきなのか、そして今の挨拶に何と返事をするのが正解なのかわからず白石さんとアシリパさんを交互に見た。
「こいつは放っといていい。それより、何でこんなところに居るんだ?もしかしてお前も杉元を助けにきたのか」
「いや、う~ん……まあそうなんですけど、流石に一人ではどうしたらいいのかと思って」
「なら私達に協力してくれないか」
アシリパと名乗る小さな少女は力強い瞳で私を見た。迷いのない綺麗で真っ直ぐな瞳だ。こんな目をしていた時が、自分にもあっただろうか。私は自分の子供のころを思い出してみたが、残念ながら今と変わらない覇気のない目をしていた記憶しかなかった。突然押し黙った私を見てアシリパさんが首を傾げたので慌てて返事をする。
「……いいですよ」
「俺のこと無視しないで!」
「よし白石、様子を見てきてくれ」
すぐに機嫌を直した白石さんは偵察に向かった。私はその立ち直りの早さを見て成程、白石さんはこういう扱いでいいんだなと無駄な学習をすることになる。ひょいひょいと、まるで軽業師のように簡単に屋根を上っていく白石さんを残る自分たちが不安そうに見守った。連れて行かれる前から結構な半殺し状態だったうえに双子の軍人からは異常なほどの殺意を感じていたから、もしかしたら本当に殺されてしまったかもしれない。暫くして屋根から降りた白石さんは「しぶとい野郎だ」と呟いた。
「杉元の野郎、生きてやがった」
アシリパさんと杉元さんという、一見奇妙な組み合わせの二人がどのような関係性なのか、自分にはわからない。けれど、杉元さんが生きていると聞いてこんなにほっとした表情を見せるのだからきっと大切な存在なのだろう。
「……いいなあ」
「ん?何か言ったか?」
「いいえ、何も」
「あの鉄格子、古くて錆びてた……一本曲げれば、俺なら関節を外して侵入できるな」
「すごいですね、そんな特技が……」
「そうでしょそうでしょ!」
「やめろ、図に乗るから」
「俺は博打が好きだ。お前らに張ってやる。杉元を助け出すのに協力するから、俺に金塊の分け前を寄越せ」
「わかった……私は金塊に興味はない。見つけたら杉元と分け合えばいい」
「あの、金塊って……?」
二人が固い握手を交わす中、おずおずと手を挙げるとアシリパさんが事情をかいつまんで説明してくれた。本当なら凄い話だ。私はごくりと唾を飲み込む。アシリパさんたちが探している奇妙な模様の刺青が関係しているのはすぐに察しがついた。そして恐らく第七師団もそれを狙っているのだろう。だから刺青のことを探っている杉元さんが捕えられた、ということか。大まかに状況を把握した私は「自分も金塊の分け前はいらないですが、」と前置きしたうえで改めて協力する意思を示す。
「詳しい話は杉元と合流してからにしよう」
その言葉に全員こくりと頷いた。作戦開始だ。
杉元さん奪還作戦はまず、白石さんが中に侵入して杉元さんの拘束を解き、あらかじめ鉄格子に括り付けておいた縄を馬に引かせて枠を取り外し、そこから二人が脱出するというものだ。白石さんは結構責任重大な役割だが、大丈夫だろうか……いや、意外とこういうちゃらんぽらんな男に限ってやるときはやるもんだ。疑ってごめんなさい白石さん。初対面なのにどことなく漂う胡散臭さからあまり期待できずにいた私は脳内で頭を下げる。油を全身に塗りたくった白石さんがぬるっと侵入したのを見守ったあと、自分も配置に着いた。杉元さんは大丈夫だろうか。あんなに血の気の多い連中に囲まれて無事で帰ってこれる自信なんて私にはない。特にあの、額当てをつけた髭の男は一等危険な匂いがした。どうしてあの男の安否がこんなに気になるのだろうか、と自分に問う。気になったのはあの『目』だ。どこかで見たような気がする、けれど、気のせいのような気もする。……だめだ、また堂々巡りになってしまう。まとまらない考えに少しイライラしていたら、馬小屋の方が騒がしくなってきた。
「!一旦離れるぞ!」
「何かあったのですか?」
「レタラの匂いで馬たちが騒がしくなってしまった。人が集まってくる前に離れよう」
アシリパさんの言う通り兵営から少し離れたところにある商店の影に身を潜めていると、暫くして血だらけの杉元さんと、その後ろから額当てをした軍人が追ってくるのが見えた。
あのあとも杉元さんが何度か痛めつけられたことは容易に想像できるが、とにかく本当に生きてた、と私は乾いた笑いを漏らす。額当ての男が自分の前を通り過ぎた直後、馬の臀部あたりに矢が刺さった。アシリパさんだ。男は落馬したものの、止まることなく走り出した。
「……化け物か、」
小樽の街はこんな猛者ばかり集まる恐ろしいところだったのだろうか。敵ながら天晴という言葉が頭に浮かんだものの、感心している場合ではないなとすぐ我に返り、私はアシリパさんの射た矢を回収に向かう。矢毒を射るから、周りの肉を抉って取ってくるようにとの指示だ。言いつけ通り矢の刺さった部分を中心に馬の肉を切り取る。アシリパさんと合流してその矢を渡すとレタラが物欲しそうに反応していた。本当に大きな狼だ。アシリパさんの言うことはよく聞くらしく今は大人しくしていたから、ちょっと大きな犬と言う感じだけど。
杉元さん、白石さんと合流するため、私たちはさらに兵舎から離れた地点へ移動する。ちなみに自分もレタラに乗せてもらったが三半規管が弱い自分には若干辛い道のりだった。しかし子供一人と、女とはいえ大人の二人を軽々乗せるとは、恐るべし狼だ。暫くして杉元さんが馬橇でやってきた。あれ、思ったより元気そう……。血まみれにはなっているが致命傷を負っている様子がないことに一先ず安堵した。ああでも、顔に刺さっている竹串は痛そうだ。橇から降りた杉元さんはアシリパさんの姿を見ると気まずそうに下を向いた。
「アシリパさん……恰好つけて出て行ったのに、助けられちまった。……ざまあ無い」
さきほどの大立ち回りで見せた鬼人のような顔とはまるで違う。アシリパさんの前だとこんな顔もするのだな。もう連れてこないと言ったのは、この少女を心配してのことかもしれない。意見の不一致かなにかで仲違いしていたようだけど、きっと彼は根は優しい人なのだろう。アシリパさんが杉元さんのもとへ駆け寄るのを感動の再会かと見守っていたがその予想は完全に裏切られることになる。
「ギャーーーーッ!!」
「どうして!?!?」
「勝手なことをしたから、おしおきだ」
「ちょっと待って、まじ痛い……って、なんであんたが居るんだ!?」
涙目の杉元さんが漸く自分に気付き、指をさした。
「だ」
「……知ってるよ」
「昼間ぶりです」
「アシリパさん、なんでこいつまで」
「杉元を助けるのに協力してくれた」
「だから、なんのために……!」
「金塊を探してると伺いました」
「……あんたも、金塊目当てか」
「いや、金塊は別にいらないです。ただちょっと、面白そうだったので」
「これは遊びじゃねーぞ」
「もちろん、存じてますよ」
「……」
「杉元、は悪い奴じゃない」
「どうしてわかる?」
「勘だ」
「……わかったよ。だが、おかしな行動したら容赦しねえぞ」
「……了解です」
完全に警戒されているようだと内心落ち込んだが、あくまでも笑顔で頷いてみせる。こちとら四面楚歌には慣れているんですよ。でもこんな風に突き刺さりそうな視線をもらったのは久しぶりでなんだか懐かしささえ感じた。ここから挽回できたことは……なかったかもしれない。というか当時の私は挽回するつもりもなかったので自業自得なのだけれど。人間関係で大切なのは、たしか笑顔だったはず。そう思ってにこりと笑う私と、全身全霊の敵意を向ける杉元さんという奇妙な大人二人の図をアシリパさんが不安そうに見つめた。