爆発に巻き込まれた一人である軍服の男、尾形百之助は私たちを緑色に塗装された大きな洋館へ案内した。表には「江渡貝剥製所」の看板がかけられている。道中牛山さんに尾形さんのことを尋ねると第七師団の脱走兵だというが、さきほど見えた袖章が正しければ彼は上等兵だ。一体どんな理由があって脱走なんて大それたことをしたのだろうと考えていたら杉元さんは私の耳元で「アイツには気を付けろ」と小声で呟いた。聞けば杉元さんが第七師団に捕まる前、つまり私が杉元一味に参入する前に殺し合いをした仲らしいのだが崖から川に突き落としたから死んだものだと思っていたらしい。……それは確かに死んだと思っても仕方がない。
「でも、谷垣さんだって同じ第七師団じゃないですか」
「谷垣はもう軍に戻る気はなさそうだし、フチやオソマちゃんにも気に入られてる」
「……まあ、そういうのって重要ですよね」
杉元さん的信頼度番付ではお年寄りや子供への好感度も重要な指標となるらしいが果たして自分はどうだろうか。感情表現の乏しさには自信があるので期待はできなさそうだけど、少なくともアシリパさんには嫌われてはいない……と思う。それに最初は警戒心丸出しな杉元さんも今では普通くらいに下がった気がする。こうやって忠告してくれるあたり恐らく勘違いではないはずだ。「とにかく、尾形の動きには注意しろ」とまた小声で囁いた杉元さんの後に続いて私は江渡貝剥製所の中に入った。
自分の家でもないだろう江渡貝邸に正面玄関から堂々と入っていく尾形さんを見るに家主は不在なようだ。剥製所の名にふさわしく、内部には大小さまざまな動物の剥製が並んでいる。もう死体だからこの表現が正しいのかは謎だがどれも生き生きしていて今にも動き出しそうだ。こんな間近で剥製を見たことはなかったので博物館にでも来たみたいにゆっくり眺めていたら後ろにいた白石さんに「ちゃん剥製好きなの?」と尋ねられた。
「こうやって昼間に見る分にはいいですけど、なんか、夜中に目が合ったら動きそうで怖いですね」
「お……面白いこと言うねちゃん……」
「お前ら、何してるんだ?早く来いって」
杉元さんに急かされ慌ててついていくと尾形さんはある一室に入っていった。そこには人間の死体……いや剥製が何体も並んでいた。まるで日常の一コマを切り取ったみたいな剥製たちはさきほどの動物たちと同じく今にも動きだしそうで非常に気味の悪いものだがそれ以上に異様なのは中途半端に剥された上半身の皮だ。尾形さんは「贋物は……おそらくこの6体の剥製を利用して作られた」と説明したがぶっちゃけわざわざ言うまでもなくこの場にいる人間ならすぐ予想はつくだろう。牛山さんが「なんてこった。気色悪い」と呟いた。私も全く同感である。杉元さん達が炭鉱に入っていったのはここの家主であり贋物の刺青人皮を作った江渡貝さんという人と、鶴見中尉の部下である月島軍曹を追っていたためらしい。その江渡貝さんは炭鉱の中で死亡、月島軍曹も炭鉱内に入ったのは確かだが安否不明とのことだがもし月島軍曹が無事帰還したとすれば贋物の6枚がこの世に出回ることになる。
「おい、触るなよ」
「触らないですよこんな気味の悪い……」
皮を剥されたというにはあまりグロテスクさを感じさせない剥製たちをまじまじ見つめていたら杉元さんに嫌悪感を滲ませた言い方で窘められた。ただちょっと流石職人技だなあと感心していただけで触りたいなんて思うはずがないじゃないか。だってこれ、本物……だよね?本物と信じたくない故にじいっと観察をしているとそこに猫と刺青人皮を抱えた老人が現れた。
「贋物か本物か……この忘れ物がどっちなのか……判別する方法を探さねば」
「ジイさんあんた…………見覚えがあるような…………どこかで会ったかな?」
一見すると小銃を担ぎ直しただけだが彼は何かを警戒するときいつもさりげなく臨戦態勢を取る。戦争での経験からなのか生まれもった性なのかはわからないけど杉元さんがこんな風にする時は大抵何かあるというのをこの道中で体験していた私も警戒を強めた。まだまだ現役です、といった風なしっかりした顔つきのおじいさんには確かに私も見覚えがある。
「いや……!!会ったことがあるわけねえ。こいつは……土方歳三だぞ」
「久しぶりだな?白石由竹。お友達を紹介してくれんのか?」
杉元さんの肩から小銃が下ろされるのを合図にしたみたいにその場は張り詰めた空気が流れる。ああ、またいやな空気だ。
土方歳三といえば旧幕府軍の幹部、新撰組鬼の副長。私たちが生まれる少しだけ前、まだ幕府というものが存在していた時代の人間だ。賊軍という不遇の扱いを受けたとはいえ間違いなくこの明治を作った一人でありそして今は刺青の囚人でもある。彼は一体どんな目的で金塊を狙っているのか、杉元さんの推測には感心したようだけどその表情は一切崩れなくてまるで老いを感じさせない。
「私の父は…………!!」
「手を組むか、この場で殺し合うか。選べ」
土方さんは鯉口を切り、杉元さんも銃身をぎゅっと握りしめた。一足触発の状態である。杉元さん、お願いだから落ち着いてくださいと念じてみても生憎私に念を飛ばすような特殊能力は備わっていない。ので、私にできるのは杉元さんと土方さんが睨みあうのをひやひやしながら見守ることだけだ。せめてなにかあった時アシリパさんは守れるようにしないと、と自分自身も腰に差している刀の柄に手を滑らせたが「グキュルルル」と何かが鳴いたみたいな緊張感のかけらもない音がして私の緊張はどこかへ飛んで行った。なんだろう今の……なんて少し動揺している間にもう一人の老人が現れる。そのおじいさんが私たちの持っている刺青人皮を買い取ろうと言い出したけど杉元さんは「のっぺらぼうに会いに行って確かめたいことがある」とその提案を拒否した。
杉元さんの目的は金塊を見つけて親友の奥さんの目を治すこと、と言っていた。今はそこにアシリパさんの目的も加わっているらしい。この人は本当に、なにもかも背負いすぎているような気がしてならない。自分が心配したところで彼にとってはありがた迷惑な話なのかもしれないが責任感が強くて優しくていつもアシリパさんのことを気にかけていて……彼自身が一息吐けるような瞬間は果たしてあるのだろうか。杉元一味、土方一派が真面目な話をしている最中にもさきほど耳にした何かが鳴くような音がずっとしていて我慢しきれなくなったのか杉元さんが「なあに?コロコロって!」と叫んだ。
「私が何か作りましょうか」
「家永生きてた!!」
「お話の続きは食事の席でされてはいかがでしょうか」
「でしたら、自分も何か手伝います」
「まあ!ありがとうございます」
この人本当に中身おじいさんなんだろうか……どこからどう見ても自分とそう変わらない女性にしか見えない。ていうか、私より…………あっ、やっぱりやめておこう。言葉にしたら負けな気がする。ふるふると頭を振ってから「何を作るんですか?」と尋ねたら「お鍋にしようと思います」と家永さんが微笑んだ。うーん、美人だなあ。彼女……いや彼のこの美しい顔も声も体さえ、他の「誰か」から得たものなのだろうか。あまり具体的には想像したくないが元は老人だというのだからそりゃ多少の興味があるのも仕方のないことだ。
家永さんに続いて剥製の間を後にしようとしたとき、私の腕が結構な強さで掴まれたことで体勢を崩しそうになったがこれまでも何度か同じ経験があったので誰の仕業かは見るまでもなく察しがついていた。
「オイ、家永と二人きりは危ないぞ」
「あ、やっぱり杉元さんもそう思いますか?」
「わかってんならホイホイついて行くな!」
「うーん、こうやって見るとただの美女なんですけどねえ」
「中身は変態ジジイだぞ」
「……そ、そうかもしれないですけど……」
「とにかく、この際白石でもいいから連れて行け」
「シライシさんかあ……」
「ちゃんも言うようになったね」
「すみません、心の声がつい」
「……」
「俺がついてってやろうか?」
突然会話に割り込んできた尾形さんを杉元さんがじいっと見つめる。こ、こわ……。静かに殺気を漂わせる杉元さんに対して、尾形上等兵は面白そうににやつくだけだ。個人的には早くお風呂にでも入ってきてほしいところだがなんとなく言える雰囲気ではなかったので同じくお風呂に連行したい一人である白石さんと目を見合わせる。
「お前が一緒にいても安心できるわけないだろ」
「そうか?少なくとも俺に食人趣味はないぜ」
「食人趣味は、ねえ……」
「す、杉元さん落ち着いてください……とりあえず今は一時休戦ということで……!!」
「だとよ」
「……なにかあったら大声出せ」
「わ、わかりました」
「お許しも出たことだし、行くぞ」
「あ、ちょっと、尾形さん」
あれ?私名前言ったかな?急に名前を呼ばれたことに違和感を感じつつ、軍服の後を追った。誰かが教えたのかもしれないしそれほど気にすることでもないだろう。
いやそれより、私はお風呂に入ってきてほしいのであって……と口を開きかけたとき「アイツはあんたの保護者か何かなのか?」と尾形さんが少し呆れたように笑った。これでも杉元さんより多少長く生きている自分にとっては複雑な心境である。