最果ての熱砂17

 隙あらば寒い寒いと呟いていた私だがその間にも季節は進み森の中の雪もほぼ溶けてしまって朝起きるのも随分楽になってきた。夕張へ向かう途中で立ち寄ったアシリパさんの親戚の家でご馳走になったサクラマスのオハウにも春の食材がたくさん使われていて、「食べ物で四季を感じられるなんて風流だなあ」なんて考えながら私は春を堪能する。つい先日ヒグマと死闘を繰り広げたとは思えない暢気さである。死闘を繰り広げた主要人物である杉元さんの顔の傷はアシリパさんが言った通り化膿せずに綺麗に治りそうな気配があるものの痛々しい見た目は変わらなくて早く治るといいなあと自分のことみたいに心配していた。アシリパさんも杉元さんの顔の傷をとても気にしているらしくあの日から食後の傷の手当てを欠かさない。傷によく効く薬草やら熊の油やらを食後の杉元さんの傷にたっぷり塗り込み、包帯をぐるぐると巻いていた。私としても白石さんが何気なく言い放った「隠し包丁を入れた焼きナス」が頭に残っているのでそういう意味でも早く完治してほしいところである。手当を受けた杉元さんの顔面が大きな布で覆われ異様な姿になっているのを見てつっこまずにはいられなかったのか白石さんが「なんだよその顔」と苦笑いした。

「俺は傷跡なんてどうだっていいんだけど」
「傷が増える前の顔が気に入ってたのかな?」
「たしかにもともとモテそうな顔ではあるよな。ちゃんもそう思わない?」
「えっ?さあ……如何なんでしょう」

 突然話題を振られ返答に困ってまごついている私だったが白石さん自身はそこまで私の答えに興味がなかったのかすぐに「さすがに結婚はしてないんだろ?地元に「いい人」くらいいるんじゃねえのか?」と続けたのでほっとしてお茶を啜る。モテそうな顔ってなんだろう。世間の基準がイマイチわからない私は杉元さんがモテそうな顔なのかもわからないし白石さんやキロランケさんはどうなのかもわからなかった。杉元さんがその事に対して否定も肯定もせず沈黙を貫いていたものだから、白石さんが面白がってさらにつっこもうとしたところにストップがかかったあたりで私は以前聞いた彼が金塊を探す目的を思い出す。親友の奥さんが目を患っていると言っていたけれどその奥さんが「いい人」なのだろうか。

「じゃあ次はちゃんね」
「……はい?」

 もう寝たいなと思いながら欠伸をかみ殺していたところにまさかの流れ弾が飛んできてお茶を零しそうになる。白石さんはさながらお茶屋さんとかで駄弁っている若い女の子みたいに興味津々といった風にこちらを見ていた。そんな期待の目でみられても面白い話題など皆無なんですけど。私自身の人生の中で結婚などという選択をする場面は一度もなくまた結婚したいと思ったことすら一度もないというか考える暇もなかったので非常に残念だがシライシさんが満足できるような話題は持ち合わせていない。にも拘わらずシライシさんは依然キラキラと目を輝かせている。女子か。この手の話題で喜ぶのって女の子だけじゃないんだなあと心底どうでもいい発見をしてしまった私はため息を吐いた。

「白石さんにご満足いただけるような話はなにもできませんよ?」
ちゃんも可愛いんだしモテたんじゃないの?なあ杉元」
「ん?ああ、そうだな」
「確かには可愛らしいと思うがやはり少し細すぎじゃないか?」
「キロランケさんと並んだら誰だって必然的に細くも見えますって」
「いいか、女は抱き心地が重要だぞ。狙っている男がいるならもっと飯を食え!」

 キロランケさんて時々面倒臭いこと言うんだよなあと苦笑いし適当に相槌を打ちながらふと、あの日杉元さんが語った女性はどんな人なんだろうと会ったこともないその人を思った。ひとつ言えるのは私とは比べものにならないくらい良い女なのだろうということだがそもそも私のような男女が同じ土俵に上がれるわけもないので比べること自体が失礼なような気がしてなんだか申し訳ない気分になっているうちに横からは白石さんのいびきが聞こえ始めた。白石さんを見ているとくよくよ悩んでいるのが馬鹿らしくなる瞬間がある。それに度々救われたことを思い出し声を上げて笑うとキロランケさんもふふっと短く笑いを零す。自分から振ってきた癖に答えも聞かず一番に夢の中へ旅立った白石さんを見て私たち3人は目を見合わせたあと仲良く就寝した。

その日私が戦場に赴くことはなかった。が、それはそれで落ち着かないものである。




「獲れたーーっ!」
「いいぞ、。上手いじゃないか」

 エヘン、と得意げに捕まえたばかりのヤツメウナギをキロランケさんに渡した。気持ち悪い。手の中でにゅるにゅると不規則に動くヤツメウナギは動きもアレだが口もアレなのである。お役御免になった白石さんの代役でキロランケさんと二人でヤツメウナギの捕獲に加わり未知の感覚に背筋をぞわぞわさせつつ大奮闘した私だが結局1匹しか捕まえられなかった。正直もっといけるつもりだったのだけど思い上がりも甚だしかったようだ。キロランケさんに褒められたのが救いではあるが。自分たちで獲ったヤツメウナギのうな重を食べつつヤツメウナギの骨にまつわるアイヌの伝説を聞くとアシリパさんが「シライシも体の関節がぐにゃぐにゃなのはヒグマのチンポがシライシになったからかもな!」なんて良い笑顔で言うので笑っていいのか窘めた方がいいのかこの自由な想像力を育てるために見守るべきなのか判断できずお行儀が悪いとわかっていながらもうな重を口いっぱいに頬張った。

「これからどうしますか?」
「街で聞き込みをしよう」

 そういえばアシリパさんと初めて会った時も聞き込みをしていたなあと思いながら彼女の言葉に頷く。しかし第七師団も関わっているような曰く付きの入れ墨をそんなおおっぴらに探していいものなのだろうかという素朴な疑問が頭を過ぎった。ここで足が付いたらまた危ない目に合ってしまうのではないだろうか。とは言っても聞き込みする以外で有効な方法も私には思いつかずやっぱり静かに頷くしかなかった。どうか北鎮部隊とばったり出くわしたりしませんようにと心の中で手を合わせた私の祈りも虚しく、少し離れたところで聞き込みをしていた杉元さんと白石さんがいなくなったあと夕張の街がざわつき始めた。炭鉱で爆発があったらしくて山鳴りのような遠雷のような不気味な音が数回響き、街の人達が木材やら工具をたくさんもって慌ただしく走っている。

「まさか、杉元たち、巻き込まれてたりしない……よな」
「……」
「……」
「……なんてな!冗談だよ」
「確かめに行こう」

 キロランケさんの発言が悪い冗談だとしてもはぐれてしまった彼らの安否は確認しておかなければと私たちも町民に混ざり炭鉱の様子を見にいくことにした。まったく悪いタイミングでいなくなってしまったものだ。つい嘆息をもらしそうになるがまあ、杉元さんは不死身だし白石さんも割と運は良い方みたいなのでそこまで大変な事態にはなっていないだろうと自分を励ますようにしながら運ばれていく真っ黒な炭鉱夫たちを横目に人だかりをかき分けた。炭鉱火災を消火する際には板や粘土で坑道を密閉する方法が取られるらしい。あの中に取り残されたら……なんて考えたくもないことを想像してしまいごくりと唾を飲みこんだ。密閉作業の間に中から逃げてくる人は誰もいないし杉元さんたちも見当たらない。やっぱり全く別のところにいるのかもと思いながら完全に塞がれた坑口を眺めていると下の方の板がバキっと音を立て僅かに穴が開いたので誰かに知らせなくてはときょろきょろしているうちに大きな男の人が坑口へと体当たりしていった。気のせいか頭から突っ込んでいったように見えたが……いや、見間違いかもしれない。素手で壊したとは思えないほど木の板を木っ端みじんにした大男は逃げ遅れた男性二人を抱えてのっしのっしと歩いてきたのだが、良く見たらそれは全員知っている人だった。

「よお嬢ちゃん。また会ったな」
「チンポ先生ェ…………」

 懐からカッサカサのはんぺんを出して嬉しそうに呟いたアシリパさんに対してすっかり真っ黒けになった杉元さんが「ハンペンまだ持ってるうッ!!」とつっこっみをいれた。大分疲れた顔をしているけど命に別状はなさそうだ。よかった。白石さんもよだれを垂らして放心状態といった感じだったけど手拭いと水を差しだしたら「ありがとうちゃん」と震えてはいるが思ったよりしっかりした声でそれを受け取ってくれた。札幌でライスカレーをご馳走してくれた牛山さんは気の良いおじさんという印象が強かったけれど、そういえばこの人も入れ墨の囚人だった。その牛山さんがどうしてこんなところにいるのかと首を捻っていると同じ事を考えていたらしい杉元さんが私より先にそれを尋ねた。

「連れと夕張に来ていたがふらっといなくなってな。探していたらお前らがトロッコに乗ってるのを見つけたんだ」
「連れ?」
「しょうがねぇ。そいつら連れてついてこい」

 牛山さんの後ろから現れた軍服の男も爆発に巻き込まれたのか全身真っ黒だ。私たちを追ってきたのだろうかと一瞬身構えたけどまさか第七師団が牛山さんとつるんでいるわけないし杉元さんはこの人を知っているみたいでまた不思議そうにしていたのでどうやら思い過ごしのようだった。ぶっきらぼうに「ついてこい」とだけ言った男はスタスタと先に行ってしまうのでなんだかよくわからないが私たちも後に続く。杉元さんと白石さんは少し休んで回復したようだった。流石は不死身と脱糞王だ。