最果ての熱砂12

 ドン、という大きな音が私のすぐ隣で響いた。前方から飛んできた砲弾が、戦友の身体を木っ端微塵にし、私の顔には血しぶきと肉片が降り注いだ。足を止めたら死ぬ。それだけが私の両足を機械的に前へ前へと動かす原動力となっていた。轟音は鳴りやまない。―――これは本当に現実か?

!」

 全身が激しく揺さぶられる気持ち悪い感覚の中、私は目を開ける。ぼやけた視界が次第にはっきりしていき、自分を呼んだのがキロランケさんだと気付いた。ああ、夢だったのか。いや、夢なんかじゃない。あれは数年前の記憶だ。寝ぼけ眼の私を、キロランケさんは慌てた様子で容赦なく揺すった。何かを叫んでいるようだけど、あまりよく聞き取れない。今何時だと思っているのだろう。普段から眠りの浅い私にとって睡眠時間の確保は死活問題なのだ。頼むからもう少し寝かせてくれと顔で訴える私の耳に、一層大きな轟音が聞こえてくる。あれ?やっぱり夢?

「起きろ!逃げるぞ!」

 痺れを切らしたのか、キロランケさんが強引に私の腕を引っ張って起こした。逃げるって、どうして?たしか私たちはホテルに泊まっていたはずだ。この騒ぎは一体何だろう。アシリパさんを連れてくると言って部屋を飛び出したキロランケさんを未だ回らない頭で追いかけた。第七師団の襲撃とか?建物はギシギシと嫌な音を立てている。わけもわからず小銃を構えて部屋の外を伺っていると、廊下の奥から血相を変えた杉元さんが走ってきた。

「荷物を全部まとめろッ!!」
「アシリパが気を失っている」
「地下は火の海だ!!すぐに脱出するぞッ!!」
「な、なにがあったんですか……?」
「……家永は入れ墨の囚人だ」
「えっ!?」
「とにかくここからでるぞ!早くしないと崩れちまう!」

 それを聞いて慌てて荷物をまとめ、出口へ向かう。階段を下りる途中で白石さんがこれまた顔面蒼白で現れた。

「爆弾を袋ごと火の中に落としちまったッ」
「ええ!?」

 そのとき、階段の段差が突然消えて私たちは一回まで滑り落ちる。白石さんの頭には丁度良いタイミングで何故かタライが落ちてきた。どうしてホテルにこんな仕掛けを作ろうと思ったのだろう……入れ墨の囚人の考えはよくわからない。大爆発と同時に私たちは命からがら外へ逃げ出した。みんな煤まみれの酷い顔で服もぼろぼろだが生きているだけ儲けものだ。久しぶりに死ぬかと思った。完全に覚醒したアシリパさんが「チンポ先生は?まだ出てきてない!」とホテルを振り向くのと同時に、先ほどまで寝ていた札幌世界ホテルはガラガラと音を立てて崩れ落ちた。……チンポ先生ってもしかして、さっきのおじさんのこと?チンポ先生の身を案じるアシリパさんが足元に何かを見つけて拾い上げた。

「チンポ先生……」
「ハンペンだろ、それ…………」

 なぜこんなところにハンペンが落ちているのだろうかと考えられる程には私の頭は冷静さを取り戻していた。これだけの騒ぎだから無理もないけれど、周りには大勢の野次馬が集まりつつあった。警察がかけつけるのも時間の問題だ。

「ますます網走ののっぺらぼうに会わなきゃいけなくなってきたぜ。あの不敗の牛山が吹っ飛んじまっていればの話だが…………」

 一夜明けて、私たちは再び札幌世界ホテルがあった場所に戻ってきた。女将の家永と、チンポ先生こと不敗の牛山の痕跡を探すためだ。瓦礫を一つずつ除けていくのは大変な重労働だった。杉元さんが頻りに私の心配をしてくるのは昨日のことが原因なのだろうけど私だって軟弱なわけではない。頑なに「大丈夫です!」と言い張って、息を切らしながらも撤去作業に没頭した。野次馬に聞き込みをしてきたキロランケさんから、消防も警察も死傷者を見つけられなかったことを聞かされる。死体があるとすれば地下室だろうというキロランケさんの憶測を杉元さんが否定した。たしかに、あの女将はともかく牛山さんはただでは死ななそうだ。買ったばかりの爆薬を吹き飛ばしやがって、とキロランケさんがぼやいていた。そういえばその白石さんが見当たらない。

「あいつどこ行った?」
「ススキノだろ、あのエロ坊主……」

 昨日あんなことがあったというのに遊びに行くとは流石白石さんだ、切り替えが早い。感心していた私の後ろからその白石さんがひょっこり現れた。日高にいるという囚人の情報を掴んできたらしい。が、折角揃えた爆薬がなくなってしまった。そして買いなおすほどのお金もない。仕方なく私たちは猟をしてお金を稼ぐことにした。しかしここでも白石さんの浪費が明らかになり、杉元さんとアシリパさんに制裁されていた。自業自得すぎて何も言えない。でも多分、この人は懲りないんだろうなあと呆れた目でストゥでぶっ叩かれる白石さんを見守る。白石さんは真面目なときとそうでないときの差が激しすぎるのだ。
 勇払ではアシリパさんのフチの末の弟さんの家に泊まらせてもらうことになった。この村には最近占い師の女性が現れたという。そのインカラマッさんという女性はキツネの襟巻を身に付けた切れ長の目の美女だった。例によって白石さんが自己紹介をしたけど相手にされていなかった。綺麗な人だからきっとこんな対応にも慣れているのだろう。

「わたし、傷のある男性にとても弱いんです。そちらの兵隊さんもとても男前ですね」
「そりゃどうも」

 照れているのか、杉元さんは少し小声だった。隣にいたアシリパさんが何か言ったけどアイヌの言葉だったので何を言ったのかはわからなかった。インカラマッさんの反応を見るにあまり良いことは言ってなさそうだけど。

「いま、スギモトとオハウとオソマ並べたよね!?また俺がウンコ食うって言ったでしょ!!」
「言ってない」

 キロランケさんがニヤニヤしながら煙草をふかしていて、私は首をかしげた。

「どうしたんですか?」
「ん?いや……杉元はモテるなと思って」
「そうなんですか……やっぱり強いから?」

 問いかけには答えず、キロランケさんは煙をふっと吐き出した。

「ちょっと待って、あなた達は……小樽から来たんじゃないですか?」
「ええ?どうしてそれを?」

 インカラマッさんは意味あり気に私たちのことを言い当てていき、そのたびに白石さんが感嘆の声を上げる。もしかして白石さんて、騙されやすい人なのだろうか?これは少し意外だ。脱獄を繰り返してきたという経歴から疑り深くて慎重な印象を持っていたのだけど。……そうか、美女に弱いのか。女将にもデレデレだったし。インカラマッさんは私たちの探し物が見つかるか占ってくれると言って、白狐の下顎を頭にのせてから落とした。

「歯が下を向きました。希望は持てません。不吉な兆候を感じます。予定は中止すべきでしょう」
「何にでも当てはまりそうなことをあてずっぽうで言ってるだけだ。私は占いなんかに従わない。私は新しいアイヌの女だから」
「そうですか、あくまで占いであって指示ではありませんから。ところで……探しているのはお父さんじゃありませんか?」

 「それから、」と言って、杉元さんとキロランケさんの後ろに隠れるように立っていた私を見る。

「そこのあなたも……このまま旅を続けるなら、近いうちによくないことが起こりますよ」
「……なんでだけなんだ?」
「さあ、私は見えたことを伝えただけです。あてずっぽうですから、お気になさらずに……」

 私も占いを信じているわけではない。いや、厳密にいえば、都合のいいことを都合のいいときだけ信じている。顔色の読めないインカラマッさんのことを信じることもできず、かといってくだらないと一蹴していいものなのかも判断できずにいた。ただ、酷い顔でのけぞる白石さんだけは完全に占い師の手中に落ちたようだ。この村の人達も占いを信じてしまい、色々な貢物をしているらしい。だけどそれが彼女の生活の糧になっているのなら、自分が口出しするのもおかしいだろう。翌朝、白石さんが馬と一緒に姿を消していた。キロランケさんが突き止めた居場所は苫小牧競馬場だった。インカラマッさんも一緒らしい。競馬に詳しくない私はとりあえず番号選んで馬券を買うくらいの知識しかなくて、道中キロランケさんに教えてもらったがやっぱりちんぷんかんぷんだ。まあ賭け事に興味はないから別に困ることはない。競馬場で見つけた白石さんはやたらガラが悪くなっていて、頭にはよくわからない枝?根っこ?をくくりつけていた。インカラマッさんに何か吹き込まれたのだろう。

「白石てめぇ、アシリパさんに借金があるくせに競馬で博打とは良い度胸してんな?」
「借金?ああ……いくらだっけ?2円?3円?」

 白石さんが一円紙幣を「拾え」とばらまいた。ひらひらと舞い散るお札を受け止める。なんてことをするんだこの人は。お金は大事なんですよ!最後の一枚を探す杉元さんの頭上に一円紙幣の明かりが灯っているのを見て、白石さんは大金持ったらだめだなと確信した。金塊が見つかったらどうなることやらと呆れていたらアシリパさんが白石さんの脛をストゥでぶっ叩いた。目を覚ませと説教する彼女は本当に頼りになる。喚き散らす脱獄王とは違い、キロランケさんは冷静に観察して次に勝ちそうな馬を見定めていた。たしかに、3番と4番の馬は他と比べて生き生きしているように見える。白石さんにはもうインカラマッさんの言葉しか耳に入らないのか「キツネの頭骨も3番が勝つと示しています」と言った途端目の色を変えて馬券を買いに行った。

「いい加減にしろ白石ッ!」
もなんか言ってやってくれ」
「え……自分に振らないでくださいよ……」
ちゃんは俺の味方してくれるよね……?」
「その自信はどこから来るんですか……?まあ、そうですね、自分のお金で博打をするならお好きにどうぞ。ただしアシリパさんのお金を無駄にしたら……今度は私が制裁に参加させて頂きます」

 背中の刀をちらつかせたら白石さんのみならずその場の全員静まり返ってしまった。あれ、冗談のつもりだったんだけど。自分のジョークセンスのなさを嘆いていたら、あごひげを剃ってすっきりさっぱりしたキロランケさんが現れた。服装も違う。一瞬誰だかわからなかったのは私だけではないらしい。なんやかんやで最終レースに3番の馬の騎手として出る事になったらしいキロランケさんが自信満々に「儲けたきゃ賭けろ。俺が勝つぜ」と言い放った。なにか秘策でもあるのだろうか。懲りない白石さんはそれを信じず、またしても占いに頼ろうとしていた。シラッキカムイは3番は勝たないと示されたらしい。

「シライシ……もうそこまでにしておけ。占いというのは判断に迷った時に必要なものだ。私たちのこの旅に迷いなんか無い。だから占いも必要ない」

 その言葉は白石さんの耳まで届いただろうか。そう思った直後、インカラマッさんが占いで6番が勝つと予想し、全力疾走で馬券を買いに行こうとしたのを杉元さんに抑えられる。

「爆薬の金くらい残しておけッ!」
「ヤダッ!俺は勝負するんだ!インカラマッ様買ってきて!」
「わかりました」

 なんと素晴らしい連携だろうか。お金を受け取ったインカラマッさんはあっという間に姿を消してしまった。すかさずアシリパさんが追いかけたけれど、ここからはもうその姿が見つけられない。

「杉元!!おまえはカネが必要だから北海道に来たんだろ!?いくら必要なんだ!?金塊二万貫じゃないだろ!?命なんかかけなくても稼ぐ方法が目の前にあるじゃねえかッ」
「……必要な額のカネが手に入ったから『いち抜けた』なんて、そんなこと…………俺があの子にいうとでも思ってんのかッ!」

 杉元さんの気迫に圧されたのか白石さんが漸く静かになった。戻ってきたアシリパさんが無言で首を振ったので、間に合わなかったようだ。あとは成り行きを見守るしかない。白石さんが必死の形相で6番の馬を応援する。3番の馬に乗ったキロランケさんは出遅れてしまい、他の馬から離されていく。ところが、キロランケさんが他の騎手とは違う前傾姿勢に変わるとどんどん速度が上がっていった。見たことのない乗り方だ。キロランケさんが編み出した乗り方なのか、アイヌに伝わる乗り方なのかはわからないが、遂に3番の馬は先頭へ追い付いた。「ダメェ!!」と頭を抱える白石さんの悲痛な叫びも虚しくすべての馬を追い抜き、キロランケさんは1着でゴールする。キロランケさんが出ていたこともあるのだろうが、この熱いレースに興奮しすぎた私は無意識に隣にいた杉元さんの上衣を握りしめていていたことに気付き、そっと手を離す。幸い気付かれていないようだ。皺になっていたのでこっそり皺を引っ張って伸ばしていたら杉元さんが不思議そうにこちらを見てきたので「ほこりが付いてましたよ」と誤魔化した。