最果ての熱砂11

 キロランケさんの村で農耕馬を借りた私たちは網走へ向かう前にひとまずアシリパさんの村へ寄ることにしたのだが、出発早々山賊に出くわしてしまった。幸先が悪すぎる。

「おとなしくいうことを聞いたほうが身のためだぜ」
「おとなしくは出来ねえな」

 キロランケさんが馬上から投げたのは手投げ弾だった。その爆発に馬が驚いて騒ぎ出す。不意打ちはやめてほしい。

「白石のチンポより小さい刃物じゃ『日露戦争帰り』は殺せねえぜ」

 杉元さんがナイフを持っていた男の親指をへし折って、ひたすらビンタをお見舞いする。後ろで「もうやめな~?」と震え声の白石さんもお構いなしに、杉元さんとキロランケさんが山賊をぼこぼこにしていく。

、縄取ってくれ」
「あ、はい」
「やだねぇ、戦争帰りは暴力的で」
「……これほしいなあ……」
「……え?」
「え?」

 山賊の一人が持っていた水平二連式の散弾銃を持って帰りたいと言ったけど重いからだめだとキロランケさんに却下されてしまった。

「銃二挺に刀なんて持てないでしょ」
「う……そうですね……諦めます」
「随分と物騒なもの持ってるじゃねえか。巻き添えは困るぞ」
「さっきのは火薬を少なめに調整してある」

 元工兵のキロランケさんは手投げ弾の扱いに長けているらしい。頼もしいと思うと同時にどこか不安になる。敵に回すと厄介そうだ。キロランケさんは基本的に気の良いおじさんといった風だけど、どこか不穏な空気を感じる瞬間がある。でもアシリパさんも懐いているようだし、悪い人ではないのだろう。だからこの言いしれない不安もただ単に気のせいなのだと思う。私も戦争帰りだから、神経が高ぶっているのかもしれない。アシリパさんの村へ戻ると、なんと谷垣さんがアイヌの民族衣装に身を包んで楽器を演奏していた。オソマちゃんとの二重奏だ。

「谷垣さん、お似合いですね」
「そ、そうか……」

 着心地は意外といいらしい。どんどんアイヌ文化に染まっていく彼を杉元さんが呼びよせた。キロランケさんを確認させたいらしい。猜疑心の強い人だ。でも金塊という人を惑わせるようなお宝を探すのだからそれは当然のことなのかもしれない。自身だけでなくアシリパさんの身も危険にさらしてしまう可能性があるのだから。そう考えると私もまだ信用されていないのかな。しかし信頼を得るとは具体的にどうすればいいのか見当が付かないし、流れに身を任せるしかないか。こっそり外を伺った谷垣さんが「どこだ?いないぞ?」と言うのと同時にキロランケさんが室内に現れ、ぴりっとした緊張感に包まれる。

「おや?お前は…………」
「知り合いかい?」

 杉元さんが小銃に手をかけるのが見えたので私も無意識のうちに白石さんの陰に隠れるよう注意して小銃を手に取った。一触即発の状態だったが直後にキロランケさんが「アシリパの叔父だっけ?」と発言したことで不発に終わり、小さく息を吐いた。やはり、警戒しすぎなのだろうか……。谷垣さんを交え、改めて網走までの経路を確認する。中間地点の旭川には第七師団の本部があるそうだ。不死身の杉元が超有名みたいだから旭川は避けた方がいいだろう。

「谷垣、フチをよろしく頼む」

 翌日出発した私たちはまず、札幌の銃砲店に寄ることにした。アシがつかないよう、キロランケさんの知り合いのお店で武器を揃える必要があるのだ。思ったより到着が遅くなってしまったのは、途中で白石さんが落馬して行方不明になるという事件があったせいだ。小樽ほどではないらしいが、札幌も大きな街だった。銃砲店の店主によると、今は中島遊園地で博覧会が催されているとかで、この辺の宿はいっぱいらしい。

「アシリパさん、そんなの触っちゃダメだよッ!」

 お店に並んでいた散弾銃をかっこよく構えるアシリパさんに杉元さんが保護者みたいな注意をした。私は私で、小銃の弾薬を補充しようと店主さんに声をかける。

「おじさん、これと同じやつください」
「ん……?同じやつ?高いよ?」
「大丈夫です!あ、あと水平二連銃ってあります?」
「なんだよ、まだ諦めてなかったのか?」
「いや、ちょっと触ってみたくて……」

 残念ながら水平二連式はあまり需要がないらしくて、このお店では品切れ中だった。まあ、買うつもりではなかったしそれならそれでいいんだけど。とりあえず目的の弾丸は手に入れたので私の用事は済んだ。宿を探していた私たちは美人の若女将が経営しているという札幌世界ホテルというところを紹介してもらった。美人で色っぽい若女将と聞いて白石さんが鼻の下を伸ばしていて、大丈夫かなあと不安になりながらそのホテルへ向かった。

「いらっしゃいませ、女将の家永です」
「シライシヨシタケです。独身で彼女はいません。付き合ったら一途で情熱的です」

 ……なんだか聞いたことのある自己紹介だ。そういえば初めて会った時に同じことを言われた気がする。

「部屋はどうする?」
「手っ取り早くじゃんけんで決めるか?」
「もう面倒臭いのでこの区切りでいいと思います」

 人数が半端な私たちはどうしても一人はみ出てしまう。2人と3人に分かれる必要があったけど別に誰と同室でもよかったので適当に今の並び順で区切ってみた。杉元さん、アシリパさん部屋と、白石さん、私、キロランケさん部屋だ。他のみんなもそこまでこだわりがなかったのか、反対意見は出なかった。改装に改装を重ねたというこの札幌世界ホテルはまるで巨大迷路のようだった。……厠に行って戻ってこれなかったらどうしよう。

「久々に火照ったぜ」
「シライシ、女っていうのは抱き心地だ。やはりもっと太めじゃないと」
「……」

 キロランケさんの持論を聞いて、思わず自分の身体を見下ろした。うーん、太く、はないよなあ……。陸軍で鍛えていたし、退役してからも小銃と刀を持ち歩いていたから当然といえば当然だけど、キロランケさんのいうところの抱き心地はたぶん悪いと思う。鼻の下を伸ばした白石さんが涎を垂らしながら「全力で口説くしかねえ」と言っていて少し引いた。確かにさっきの女将さんは噂通りの美人だったし気持ちはわからないでもないけれど。

「俺、家永さん探してくる!」
「お、お気を付けて……」
「あいつはいつもああなのか?」
「ええ、まあ」
「はは、じゃあ、あんたも口説かれたのかい?」
「いや、自分は別に」

 キロランケさんは煙管をくわえながら私をじっと見ていた。まただ。見透かされているみたいに、居心地の悪い視線が全身を突き刺してくる。

「……あんたは、どこの所属だったんだっけ?」
「第二師団です」
「本当に?」
「それは……どういう意味でしょう?」
「見覚えがあるんだよなあ……」
「自分は杉元さんのような特徴もないですから、見間違いだと思いますよ」
「……それもそうだな……すまない、忘れてくれ」

 それ以上会話が続こともなかったので、私は武器の手入れをすることにした。持っていた小銃を丁寧に分解して、ひとつひとつ綺麗にしていく。少しお腹がすいたなと思い始めた頃、個室の扉がトントン、と叩かれた。杉元さんとアシリパさんが、食事に行こうと訪ねてきたのだった。白石さんが戻っていなかったけど、みんな声を揃えて放っておけと言うので結局置いて行くことになった。もしかしたら意外と良い雰囲気になっていたりする可能性あるかも……いやないか。廊下に出ると、盛り上がったおでこが印象的な大きな男性がいて、アシリパさんとキロランケさんがふたりして「シンナキサラ」と言った。最早一種の挨拶のようになった「シンナキサラ」に男性が気付く。

「それは柔道耳ってやつだ。アンタ相当やってたね?俺は体質なのか、そんな耳にはならなかったよ」
「ほう……心得があるのかね?」

 固い握手を交わした二人が突如お互いの服を掴む。どんな技が飛び出すのかと固唾を飲んで見守っていたけれど、そのまま動かなくなった。

「このままでは殺し合いになる。こんなに強い奴ははじめてだぜ」

 何か通じるものがあったのか。柔道耳のおじさんは杉元さんを気に入ったようで、奢ってくれることになった。洋食屋さんに入り、出されたのはエゾシカ肉のライスカレーというこじゃれた洋食だった。未だにオソマに抵抗があるのか、アシリパさんは中々食べようとしない。「それ「食べてもいいオソマ」だから」と当たり前のようにいう杉元さんに対して食べていいオソマはありません!と心の中でつっこんでおいた。決死の覚悟で一口食べたアシリパさんは悶絶しながら「ヒンナすぎるオソマ」と呟いていて、よかったねと思うと同時に茶色い物体=オソマの方程式が出来上がっているアシリパさんの将来が少し不安になる。その隣では柔道耳のおじさんがものすごい飲みっぷりを披露していて、私は思わず拍手を送った。

「お嬢さんもどうだい?」
「あ、じゃあ、一杯だけ……」
「お酒は苦手かな?」
「ええ、まあ」
「ちょっと待って、お嬢さん……て?」
のことだろ?」
「…………は、男だろ?」
「何言ってるんだ杉元。は女だぞ」
「嘘だろお前……こんなめんこい女の子捕まえて……」
「女の子て年ではないんですけど…………」
「いや、だって!こんな恰好だし!」

 言い訳を探していた杉元さんが次第にしょぼんとした顔になり、小さく「ごめん」と言った。そうか、男だと思われていたのか。自分で言うのもあれだけどこの男装も似合ってないだろうと思っていたから意外だった。現に杉元さん以外の人達は全員私が女だと言わなくてもわかっていたみたいだし。

「す、杉元さん、自分は気にしてないので……」
「う、うん……」
「はい、ビールどうぞ」

 私が杉元さんとキロランケさんにビールをお酌している前で、柔道耳のおじさんはビールを瓶のままラッパ飲みしていた。ふと気が付くと数えきれないほどの空きビンが並べられていた。恐ろしいほどお酒の強い人だ。私も頑張ればこれくらいの酒豪になれるだろうかと一瞬考えたけれど、そもそもお酒の味が好きではないし、そこまでして強くなっても私には何の得もないので直ぐに諦めた。前後左右から漂う酒の匂いだけで酔いそうな気分がする。私たちの中で一番顔を赤く染めたおじさんは、札幌のビール工場を作った村橋久成というお侍さんは箱館戦争で新政府軍として戦ったという蘊蓄を教えてくれた。

「土方の野郎…………戦争に負けたのは悔しいが、奴の作ったビールは旨いってよ」
「土方歳三が?」
「もしも生きてりゃそう言うだろうなって話よ……」

 ガハハハと豪快に笑う柔道耳のおじさんはお酒が強いといっても相当酔いがまわっていた。そんなおじさんの話に気を取られている隙に、アシリパさんがまた飲酒していて目つきが悪くなっていた。相変わらず酒癖が悪いアシリパさんが、おじさんのおでこのでっぱりを必死で取ろうとしている。たしかに気になるよね、そのでっぱり。

「お嬢ちゃんいい女になりな。男を選ぶときは……チンポだ」

 子供になんてこと言ってるんだこの人は。急に始まった猥談……ではないな。なんだろうこれ?この前の海で見た杉元さんの全裸を思いだしてアシリパさんがふふっと笑った。

「男は寒いと縮むんだよ?伸びたり縮んだりするの、知ってる?アシリパさん」
「大きさの話じゃないぜ~~?その男のチンポが「紳士」かどうか……抱かせて見極めろって話よ!」
「そのとーり!!」

 この場に素面の人間は自分だけだ。どんな顔してこの話を聞けばいいのかわからず頭を抱えていたら「もちゃんと聞いておけ!」とキロランケさんに叱られた。

「よしッ帰るぞッ!チンポ講座終わりッ!女将が部屋で俺を待っているッ!!」
「「「先生ごちそうサマー」」」
「……ごちそうさまです……」

 いつの間にかおじさんは先生になっていた。私ももっと酔っておけばよかったと、これほど後悔した夜はない。