「あっという間に」なんていう慣用句があるけれど、今がまさにそれである。
突然現れた龍みたいな、というかそのまんま龍らしき生物が暗い大空を飛び回り、そこら中に火を吹いた。おそらく壁の向こうにも「黒王軍」が来ているのだろう。北壁の兵士たちはばたばたと慌ただしく走り回っているというのにブッチさんとキッドさんは仲良く喧嘩をしていて、私は「この二人だけ見てる風景が違うんじゃないか?」なんてありえない想像をした。だがこの世界において「ありえない」と思っていたことがありえてしまうのを何度も目にしているせいで最早自分の中の常識が通用しないことを痛感した私は些細なことでさえ疑問を抱いてしまうのだった。
暗かった空も龍の火炎によって今は明るく煌々と照らされている。晴明さんの話ではここを黒王軍から守るために来たはずだったが、私達は加勢しなくていいのだろうか?北壁の兵士たちの様子を見るにおそらく状況は不利なようだ。加勢しないにしても逃げる必要はあるはずなのだけど……まあ、二人がまだ余裕ぶっこいているうちはきっと大丈夫なのだろうという謎の安心感から私は今まで空想上の生物だった龍を観察していた。その空になにか、石の門のようなものが現れ私は目を擦る。なんだろう、あれ。じっと目を凝らしているとその中からこれまた見たこともない鳥のようななにかが勢いよく飛び出した。巨大な「鳥のようななにか」は黒王軍のすぐ上をぐるぐると飛び回っている。
「キッドさん!!あれ、なんですかあれ!!」
「なんだ、の時代にはなかったのか。ありゃ多分飛行機だな」
「ひこうき?」
「空を飛べる乗り物さ」
「乗り物……って、あれ人間が乗ってるのですか!?」
「あれが本当に飛行機ならな」
自身の目頭に手で庇を作ったキッドさんが笑いながら答えた。私たちの世界には空を飛べる乗り物があるらしい。そんな夢のような乗り物があるなんて……未来ってすごい。だがあれを操っているのが人間なのか、人間だとしても味方……漂流者であるという保証はないのである。もし漂流者だったら乗せてもらえないか頼んでみよう。
「まだかなオイ、やばくないか」
「ヤベーな、ヤベーよ。俺らだけ行っちまうか」
「誰を待ってるんですか?」
「セーメーが言ってただろ。漂流者だよ、漂流者」
あ、そういうことか……どうりで逃げようとしないわけだ。彼らは十月機関の荷運びをしているらしいがその中には漂流者の輸送も含まれているようだ。やばいやばいと言いながらあまりやばそうな風に見えないのはこれまでの経験によるものなのか、顔には出さない性分なのかどちらだろうなんて考えているうちに晴明さん、十月機関の男がおじいさん二人を引き連れてやってきて「早く乗ってください」と焦りつつ指示を出す。この二人のおじいさんが今回の荷物らしい。
「もはやここは駄目だ。もはや「北壁」はカルナデス王国は失陥した!!」
晴明さんが拳を握り、連れてきたおじいさんたちにどうすれば勝てるのかと、勝ち目はあるのかと苦い表情で問いかける。見たところ日本人ではないので私にはこの二人がどこの国の誰なのかまったくさっぱり見当もつかないが、晴明さんがこうやって助言を乞うということは戦に慣れているのかもしれない。オルミーヌさんと同じ金の髪をした方の男性が「おい、どうだ」と尋ねると、もうひとりの隻眼のおじいさんは「ゼロじゃないさ」と口端を上げた。それを聞いた晴明さんもさきほどの渋い表情から普段みたいな余裕のあるものに変わる。
「ゼロじゃない!!そして彼らが、彼らと合流したら、まだ望みはある!!廃城の武士たちと!!」
「……さむらい、って」
「早く乗れ!置いてくぞ!!」
詳しく聞こうとしたがブッチさんに急かされたので慌てて荷馬車に飛び乗った。ブッチさんの少々荒っぽい操縦によって私たちを乗せた馬車はぐねぐね曲がった狭い道を疾走する。いや、急がないといけないのはわかっているけれども、もう少し安全運転してもらえないだろうか……と苦言を呈したい気分だったが舌を噛みそうなので黙って揺られていると、後ろから黒王軍の兵隊が追ってくる。「やれい、やっちまえ、キッド!」とブッチさん自身も持っていた短銃を豪快に撃ちまくりつつ叫んだ。キッドさんは「もう弾あんまり無いぞ!!」と自棄になりながらも荷馬車に積まれていたガトリング砲で敵を一掃してしまう。やっぱりガトリング砲は怖い。そう思っていると眼帯をしたおじいさんが「なにこれすごい。これくれ、ちょっとローマ滅ぼしてくる」とか物騒なことを言いだした。ローマってどこだっけ?なんて思っていると今度は前方に龍が現れ道を塞ぐ。龍は想像以上に大きかった。これはどうやったら倒せるのだろう―――さきほど街を焼き払ったように、その龍は口を大きく開けたが、火を吐き出す前に龍の顔面にはいくつかの大きな穴が開いた。地鳴りみたいな低い音を発しながら、飛行機が龍を撃ち殺してしまったのだ。なんだかよくわからないがあの飛行機に乗っているのは敵ではないらしく、晴明さんが「漂流者だ!!漂流者だった!!」と嬉しそうに叫んだ。
脱出した門の外には北壁の兵士たちが倒れている。死んだ者、逃げようとする者、全員を置き去りに私たちの乗る馬車は北壁からどんどん離れていく。目の前にいるのに誰も救うことができないなんて、これほど歯がゆいことがあるだろうか?口惜しさからぎゅっと唇を噛み締めた私の肩に、晴明さんがぽん、と優しく手を乗せた。
「私を薄情者と思いますか?」
「今の私たちにあれを倒す術がないのなら、晴明さんの判断がきっと正しいのだと、私は思っています」
「これから廃城へ向かいます。彼らが貴女の探し人であるかはまだわかりませんが」
「……いえ……」
ぼんやりと彼の姿を思い浮かべる私に、晴明さんが頷いてみせた。期待しちゃだめだと自分に言い聞かせながら遠ざかっていく北壁をじっと見つめる。土方さんが、みんながいないこの世界を救うことが私の使命だと言うなら、今度はこちらで死ぬまで戦うだけだ。ほかの事なんかどうだって構わない。