※日露戦争でトリップ夢主が怪我するお話
※お察しのとおり死ネタです注意












「うわこれ、やば……めっちゃ、痛い、やばいです、尾形さん」
「他に言うことないのか」
「え、んー……」
「いいからもう喋るな。傷に響くだろうが」
「尾形さん、が、私の心配してくれるなんて、天変地異、の、前触れですか?」
「こんな時まで減らず口とは案外根性あるじゃねえか」
「へへ、尾形さんが、褒めてくれたの、初めてです、よね」
「褒めてねぇよ」

 口調の軽さとは裏腹にの顔は紙のように真っ白で、額には汗が滲んでいる。尾形の手を弱弱しく握るの細い指は小刻みに震えていた。喋っていた方が気が紛れるのか、は取りとめもないことを頻りに尾形へ話しかける。喋るなという尾形の気づかいなどお構いなしのは時々息を詰まらせながらも今日は昨日より寒かっただの昼食の味噌汁に具が少なかっただの、いつものようなくだらない話題で彼を呆れさせた。
 痛々しすぎて見ていられない、と内心思いつつも尾形は彼女の傍から離れられなかった。手を握られているというのもそうだが自分が居なくなったらこいつはすぐに死んでしまうのではないか?いや、今すぐにでなくとも恐らくそう長くは持たないだろうことは誰が見ても明らかだ。今この場を離れたら、後悔する気がした。
 布が掛けられたの腹部は敵の手榴弾によって抉られてしまった。どす黒く滲んだ布もつんと鼻をつく特有の鉄臭さもこの戦場では当たり前の光景なのである。尾形は彼女の冷たい手を温めるように握った。寒さのせいなのか、血を多く失ったせいなのかはわからない。痛くて寒いはずなのには両目を細めて笑った、ように感じた。

「ここに、きてから、髪がすご、く傷んでるんです、や、ぱりシャンプ……って大事、ですよね」

 何を笑ってやがるんだ、こいつは。笑うポイントがわからない尾形は眉間に皺を寄せるがは気にせず只管話し続ける。それが彼女の望みならと尾形も短く相槌を打ちながらを見守る。もしかしたらもう見えていないのかもしれない。尾形は奥歯をぎり、と噛み締めた。

「帰るんだろ、家に。早くその怪我治せよ」
「お、がた……さ、ん」
「なんだ」
「もっと、なにか、しゃべって」
「……さっきまで馬鹿みたいにくっちゃべってたやつが言う台詞か?」
「おねがい、い、します……もっと、おがたさん、の、こえききたいです」

 なにかしゃべれ、などと急に言われてもこいつの喜びそうな話題は思いつかない。珍しく弱った様子の尾形は口をへの字に曲げて考え込んでしまった。そもそも二人の会話が噛み合うこと自体がほとんどないのである。

「辛いか、

 返事はない。だが虚ろな目をしたの頬に手を当てるとわずかながら反応をみせた。早く楽にしてやりたい。尾形はそんな思いで腰の銃剣をちらりと確認したが、果たして彼女はそれを望むだろうかと逡巡した。どうせ果てる命なら。最期をこの手で終わらせたとして誰も責めやしないだろう。しかしはどうだ。わずかに残された最期の瞬間を懸命に生きている。もしここで俺に殺されたら、こいつは怒るだろうか?

「つら、い……けど、しあわせ、でした」
「……意味がわからん」
「…………おがたさん」
「なんだ」
「おげんきで、ね」

 尾形をじっと見ていたの瞳から光が消えていくのがわかる。瞳孔は開いていき、辛うじて尾形の手を掴んでいた指先もゆっくり広がっていく。尾形は「元の世界」を想像した。ここからずっと遠くて、でも繋がっている、のいた世界だ。そんなものを信じているわけでもなかったが、もしそんな世界があるのなら。眠りについたが次に目覚めるのが「元の世界」なら、救いがあるような気がした。こちらを向いているのにどこも見ていないの瞼をゆっくり下ろす。これでもう二階堂がセクハラしてくるだの野間さんがパワハラしてくるだの意味不明な愚痴を聞かされなくて済むな、と尾形は安堵した。

「お元気で、か」

 は本当に幸せだったのだろうか。それは今となってはもう知る術のない難問である。

ある戦いの記録