全身の骨をボキボキにでもするつもりなのかと思うほど強く抱きしめられ「痛いんだよばか野郎!加減ってもんを知らないのかよ!」と一喝してやろうかと思ったが、時折聞こえる嗚咽がそれを躊躇わせた。こんな二階堂は初めて見る。何事にも動じない鋼のハートの持ち主だとばかり思っていた。兄弟以外には弱みを見せないと思っていた。そんな私の二階堂に対するイメージは片割れの二階堂洋平がいなくなったことでがらがらと崩れ去ったのだった。いつも悪戯ばっかり仕掛けてくるくせに、どうしてこんな時に私を頼るのだろう。嬉しいんだかなんなんだかよくわからない複雑な感情のまま息苦しさを我慢して彼の背中へ腕を伸ばしたら見かけよりずっと広い背中には手を添えるのが精いっぱいだった。
 こういうとき、どうするのが正解なのか私にはわからない。ましてや相手はいつも憎まれ口を叩き叩かれしていたあの二階堂だ。未だに私を窒息させんとばかりに圧迫し続ける二階堂の背中を控えめに擦ってみると、彼の身体が僅かに震えたので私も少し驚いて手を止める。反射的に出た「ごめん」という私の謝罪に対して二階堂はスン、とわざとらしく鼻を鳴らしただけで無言を貫き通した。一体何に対してのごめんなのか自分でもよくわからず言ったことを後悔したが特に文句を言ってこないということは少なくとも嫌ではなかったということだろうか。いや寧ろ謝られるべきは私の方ではないか?というささやかな疑問が頭を過ぎり、私は押し付けられた濃紺の軍服の中で顔を顰める。そろそろ本気で苦しいのでクレームでもつけてやろうかと思い二階堂の腕の中でもぞもぞと動くとその力がふっと緩んだ。
 締め付けられていた内臓が解放され、私はぷはっと息を吐く。はあ、と一息ついてから睨みつけてやろうと二階堂を見上げたがその真っ黒な瞳はどこか空虚を見つめていた。たぶんまだ数十分しか経っていないはずだが、なんだかとても久し振りに見たような気がする二階堂の目元には涙の跡が残っていたのであ、本当に泣いていたんだなどど少し失礼とも言えなくもないことを考えながらなんとなくそれを見つめていたらふと視線がかち合った。何か言うかな?と思ってじっとしているが特に何も起きない。そうこうしているうちに二階堂の目尻から涙が零れたので、擦らないように気を付けながら自分の袖口で拭ってみたがやっぱり何も起こらなかった。大人しい二階堂ってなんか変な感じだな。……なんて口に出したら自分のことを棚に上げるなとつっこみがきそうなので黙って作業を続けようとしたときにハンカチを持っていたことを思い出して「あ」と小さく呟き自身のポケットに手を伸ばすと、その手が二階堂のひとまわり大きな手で包まれた。不覚にもどきりとしてしまったのはいつもと違う雰囲気のせいだ。きっとそうだ。そうやって平常心を保つため自分自身に言い訳をして成り行きを見守っていたら二階堂が消え入りそうな声で私の名前を呼んだ。普段は完璧なまでの無表情で何を考えているのかさっぱりわからないのに、今ははっきりと「悲しんでいるのだ」とわかる。そりゃそうか、兄弟を亡くしたのだから。洋平(と浩平のタッグだが)とは喧嘩ばかりしていた私でさえ悲しいのだから当然といえば当然だが、あの二階堂も人並みに悲しいという感情を持っていたのだとわかったきっかけが洋平の死だなんてあまりにも悲しい。浩平にとって洋平は、洋平にとって浩平はなにかタガのようなものだったのかもしれない。
 二階堂があまりにもあんまりなウィスパーボイスだったものだから何故かこちらも合わせないといけない気がして絞り出すように「うん」と呟いてみたが、それが届いたのか届いていないのか彼は私の手を離さないまま再度私を抱きしめる体制に入った。こんなときだから人恋しいのかもしれない。相手が二階堂だから違和感があるしちょっと緊張もするだけであってきっとそれが普通なのだ。そうやって自分の気持ちと折り合いをつけようと必死になりながら、私は早鐘みたいな心臓の音が二階堂に聞こえてしまうのではないかと心配でさきほどのような密着を避けようともがいた。空いている方の手でぐぐぐ、と二階堂を押し遣ると彼は少しだけ不満そうに眉を潜める。いや不満なのはこっちだよ。私はあんたの恋人でも奥さんでもなんでもない、ただの腐れ縁だろう。こうやって大人しく付き合ってあげているだけ有難いと思ってほしいものだ。腕の筋肉を総動員して繰り広げられた無言の攻防戦はすぐに決着がつき、私はまた軍服に閉じ込められた。まあ二階堂は着痩せするタイプだからな、仕方ない。少し落ち着いたのだろうか、最初のような異常な圧迫感はなかったので私はこの状況を甘んじて受け入れることにした。幸いこの後の時間は空いているから誰かに怒られることもないし今日だけは付き合ってあげることにしようか。未だに治まらない動悸が聞こえていないことを祈りながら、私は二階堂へと体を預けた。

「……洋平の代わりにはなれないけど、さ。私がそばにいてあげようか」
「お前がどうしてもって言うなら仕方ないからそうさせてやる」

 この会話だけならいつもの二階堂なのになあと笑ってみせると、堪えきれなかったのか二階堂もふっと息を吐いた。

あなたのために祈ってくれるひとがいることを、あなたは知っているだろうか::ハイネケンの顛末