「二階堂さーん、ちゃんと働いてくださーい」
……返事がない。ただの屍のようだ。必死で気を引こうとする私には目もくれず、二階堂さんは日陰でしゃがみ込んでじっと地面を観察している。一体なにをしているのかと近づいてみれば、そこにあったのは蟻の大行進だ。小さな蟻たちが自分の体より大きな緑色の羽虫をせっせと運んでいる。このあたりに巣でもあるのかなあと私もつられてその行列を見守っていたら、二階堂さんはおもむろにその蟻たちに向かって大きめの石を落とした。
「ちょッ……何してんですかあああッ!!?」
「なんだよ、たかが蟻だろ?」
「蟻だって生きてる!!」
「虫けらどもと一緒にすんなよ」
「理由のない殺生はだめです」
「チッ……いい子ちゃんぶりやがって」
「……いいから、手伝ってくださいよいつまでサボってるつもりですか」
「暑いから嫌だ」
「私だって暑いわァ!」
そもそもこの雑草抜きは二階堂さんが私の背中に毛虫を入れるという小学生みたいな悪戯をしてきたことに対して月島さんが科した罰のはずなのだけど、どういうわけか二階堂さんはそんなものなかったかのように日陰で堂々とサボりをキメていた。ちなみに雑草を抜くのは本来私の仕事なので、普段は一人でやっている。月島さんはその手伝いを言いつけたわけだが今のところ手伝う気ゼロな二階堂さんをどうやってやる気にさせればいいのか皆目見当もつかなくて途方に暮れていた。これ、最早私の罰ゲームになってないか?
「毎日毎日、よくやるなお前も」
「……これが仕事ですから」
「お前、一生ここで働くのか?」
「流石に一生は無理かな……」
元の時代に帰れる方法がなければあり得る……のかな?未来の自分もこうやって毎日営庭の手入れをし続けるのだろうかと考えるとゾッとしたが、その前に追い出されそうな気もする。まあそんなもの考えたところでなるようにしかならないので、私はすっぱり切り替えて庭掃除に戻ることにした。
「少しくらい手伝ってくれないと、月島さんにチクりますよ」
「めんどくせー……」
そういいながらも遂に立ち上がった二階堂さんが私に背を向けて雑草駆除に取り掛かった。さすがの二階堂さんも「下士官」のネームバリューには弱いらしい。正直二階堂さんの扱い方がまだわかっていなかったのでこれは良い情報だ。二階堂さんのもう一人の片割れの方もなにかと私にちょっかい出してくるけど、同じように月島さんの名前を出せば大人しくなるだろうか。彼らの顔を思い浮かべて、そういえば後ろにいるのは浩平さんだっけ、洋平さんだっけと思案する。二人でいるときなら、お互いを名前で呼び合うのでまだわかるのだけど、単体だとどうしても見分けがつかない……なんて言ったら少し失礼だろうか。ちらりと後ろを確認すると、意外にも彼は黙々と仕事に励んでいた。呆気に取られて暫くぽかんとその様子を見つめていると、視線に気づいた二階堂さんが訝しげにこちらを見遣り「見てんじゃねぇよ」と昔のヤンキーみたいなセリフを吐いた。
「これで満足か?」
「いや、私に言われても……命令したの月島さんですし」
「……だいたい、虫くらいでギャーギャー騒ぐんじゃねえよ」
二階堂さんがなぜか被害者であるはずの私に責任転嫁し始めたが口で敵う気がしなかったので聞き流すことにして作業を再開した。まだ背後でぶつくさと文句を言っているのが聞こえるけどまあ手を動かしてくれるだけマシだと思うことにしよう。ふう、と一息ついて額の汗を袖口で拭い辺りを見回してみると、今まで地道に整備を進めてきた営庭の一角は初めて私がここに来た時から比べて随分と綺麗になっているのが良くわかる。それほど広くはないもののやはり雑草をひとつひとつ手作業で抜き花壇を作りそれを維持するというのは大変なことだった。今なら用務員のおじさんの苦労がわかる気がする。
暫くの間ぽけーっと営庭とその先にある兵営を眺めていると、突然私の頭に何かが落下してきた。また二階堂さんの悪戯か?悪戯に対する罰を受けている最中に新たな悪戯を仕掛けるなんて、まったく懲りてない証拠である。頭を押さえつつ二階堂さんが居るであろう場所を振り返ると、思いのほか至近距離でしゃがんでいる彼がこちらを見ていた。ん?と何か違和感を感じてからそういえばさっき頭に落ちてきたのはなんだろうと思い出し、手の感覚を確かめる。被った覚えのない帽子が私の頭には乗っていて思わず「あ、」と声を上げた。
「なんで……」
「帽子も持ってねえのか」
「いや、まあ、無くても問題ないので」
「一日中外に居るなら必要だろ。月島軍曹にでも言っとけ」
「……あまり物をねだるのも気が進まないというか」
「馬鹿じゃねえの?一生ここにいるなら遠慮なんかするだけ損だろ」
「だから、一生は居ないですって」
「でも暫くはいるんだろ?」
「…………」
何も言えなくて軍帽をぎゅっと握りしめたら、二階堂さんは「終わるまで貸しておいてやる」と恩着せがましい台詞を残して庭掃除を再開した。ふと思いついてその軍帽を裏返してみたら「二階堂浩平」の記名があったので返す時に名前を呼んだらどんな反応するかななんて思いながら彼に背を向けて同じように作業に戻った。
いつかくるその日のために