杉元さんの大きな手が私の手を包みぐっと自分の方へ引っ張るといとも簡単に川の飛び石をジャンプして彼の胸へと飛び込んだ。温かいその手はすぐに離れてしまって私の手に残っていた微かな温もりも一瞬で生ぬるい空気の中に消えていく。もっとこの時間が続けばいいのに。そう思って小さくため息を吐いたら杉元さんは不思議そうに「どうしたの?」と首を傾げた。
「いえ別に……それよりほら、アシリパさんたちが待ってますよ」
「そこ、足元気を付けてね。手貸そうか?」
「あ……お願いします」
私はいつからこんなに打算的な考え方をするようになってしまったのだろう。心配性な杉元さんに甘えて手を借りたもののそこまで足場の悪いようには見えなかったので少しだけ罪悪感で胸がもやもやした。
「ちゃん、やっぱり元気ない?」
「そんなことないですよ」
「……そう?何かあったら言いな?」
「ありがとうございます」
「おい杉元、まだ足場が悪いところが続くからあの辺まで手を引いてやれよ」
「ん?そうか……ちゃん気を付けてね」
「お、尾形さん……!!!」
そう勧められた杉元さんは納得して離したばかりの手を再び握る。提案した本人、尾形さんを振り返るとよかったなとでも言うようににやにやと笑っていた……いや、これはただ単に面白がっているだけかもしれない。ていうか絶対そうだ。これが純粋な好意であれば私だって素直に喜べなくもないのだけど尾形さんの場合面白がっているだけなのが厄介なのである。お願いだから余計な事しないでください!と目で訴えたが尾形さんは肩を竦めただけだった。元の世界で山に入ったことなんて数えるほどしかないうえにその数回だって舗装された安全な道を先生の引率のもと歩いたに過ぎない。サバイバル的経験など皆無な私にとっては確かに安全とは言えないので有難いことではあるけれど……。こんなことをしていたら杉元さんに気持ちがバレてしまうんじゃないかとハラハラしながら杉元さんをちらっと見たら「歩くの早かった?」と申し訳なさそうに私を見下ろされただけだったのでまだ大丈夫らしい。
「尾形さんッ!余計な事しないでって言ったじゃないですか……!」
「お前みたいに引っ込み思案な性格じゃ一生杉元と夫婦になんかなれんぞ」
「……べ、別にそういうんじゃないですって」
「もう少し素直になったらどうだ?」
「へえ~。私にそんなアドバイスできるくらい尾形さんは素直な人なんですね」
「……」
「こわッ!尾形さん怖いですその顔!!」
地雷を踏んづけてしまったのかなんか殺されそうなほど冷やかな目で静かにじっと見つめられた私は後ずさりして尾形さんから距離を取りつつ、見様見真似で防御の構えをしてみた。運動経験ほぼゼロなので果たしてこれが正解なのかはわからないが。だがしかし、よく考えたら尾形さんの武器は銃という反則レベルな代物なので素手の私には万に一つも勝機はなさそうだ。その前に現役軍人なんかに勝てる気がしねえ。ハンッとばかにしたみたいに笑った尾形さんはくるりと後ろを向いて双眼鏡を覗いた。む、むかつく~~~!やり場のない苛立ちに地団太を踏みたい気持ちになったが流石にもういい大人なのでそこはなんとか我慢する。もう尾形さんなんて知るもんか!なんて心の中で叫びつつ杉元さん達のところへ走り寄ったら杉元さんが「大丈夫?尾形になにかされなかった?」とこれまた保護者のように心配してきたのでほっとしながら「何もないですよ」と笑ってみせた。やっぱり杉元さんのそばは落ち着くなあ。
「あ、ちゃんそこあぶな」
「わああああああッ!」
水場で足元が滑った私は杉元さんに抱きとめられ事なきを得たが生まれてこの方二十余年、一度も経験したことのない乙女ゲームでありそうな展開にどきどきが止まらない。私はこんなに少女漫画体質ではなかったはずだが……これは夢かな?耳元で杉元さんが「よかった……」と安心したように呟いたせいでさらに心拍数が上がったように感じた。心臓発作で死にそうなくらい心臓がバクバクしている。
「も~~!気を付けてねって言ったでしょ!?」
「す、すみません……」
「まあまあ……山道は慣れてないんだっけ?」
牛山さんが仲裁に入ってくれたが杉元さんは怒っているというよりはめちゃくちゃ心配してくれていたみたいで申し訳なさで謝ることしかできない。大きくてがっしりしたいかにも体育会系です!みたいな牛山さんが「俺が担いでやろうか?」と提案してきたので丁重にお断りした。何故か残念そうにされてしまったがおんぶもお姫様だっこも俵みたいに担がれるのも全部恥ずかしすぎて悶死しそうなので結構です。
「怪我はないか?」
「大丈夫、だよアシリパさん」
「は白石と同じくらい危なっかしいな」
「……え~~~やだあ……」
だが否定できないところが悔しい。ドジっ子ではない(と思いたい)がどうもこのハイスペックな面子の中だと自分のポンコツ具合が目立ってしまっているように思う。「この先も道が険しいから気を付けろよ」と笑顔で注意したアシリパさんだが私にはどうもフリに思えて仕方なかった。いやさすがにもう転ばないよ。……たぶん。コタンを見つけたアシリパさんが「もう少しだ、頑張れ」と励ましてくれたのでもうひと踏ん張りと気合を入れる。
「大丈夫?」
「大丈夫です!杉元さんは心配しすぎです」
「うん……でも、危ないから俺につかまってな?」
「……お言葉に甘えて」
もう何度目かわからないくらい助けられてばかりで自分の情けなさを嘆いたが優しさがいつもの二割増しくらいになっている杉元さんにそう言われてしまっては断るのも申し訳ない気がしてくる。なんて言いつつすごく嬉しいんだけど。きっと今朝の占いでは1位だったに違いない。差し伸べられた大きな手を遠慮がちにつかむと、杉元さんが「行こう」と優しく笑った。
誰かの世界の奥へ落ちていく音がする::彗星03号は落下した