脱獄囚捕獲大作戦!後篇

ッ!無事か!?」

 良く知っている声が私の名前を叫んだ。気を失ったお姉さんを膝に乗せ、谷垣を見上げる。急いで走ってきたせいか酷い汗をかいている谷垣に「無事だよ」と笑いかけると、同じように笑って「そうか、よかった」と呟いた。谷垣の後ろからも続々と第七師団の面々が駆け付ける。その中には鶴見中尉の姿もあって、私に一言「よくやった、一等卒」と言って肩にぽんと手を乗せたあと、男に近づいて行った。鶴見中尉が何の躊躇いもなく持っていたピストルで男の頭部を撃ち抜くと、男の喉から発せられていた耳障りな音が聞こえなくなる。お姉さんには目立った怪我はなかったけど念のため、ということで病院に運ばれていった。

「お前も怪我しているんだろう?病院に行くぞ」
「いや、かすり傷だよ」
「そっちもだが……足の怪我もだ」
「え、やだ、気付いてたの?」
「みんな気付いていた。だが、お前が隠したいみたいだから気付かないふりをしていたんだ」
「実はもう、痛いのなんの。歩けないってくらい」

 大げさに痛がってみたら、谷垣がしゃがんで背中を向けてきた。

「……なに?」
「負ぶってやるから、早く乗れ」
「……………………………………チェンジでお願いします」
「なッ……!?」
「はは、嘘だよ、嘘。ありがとう谷垣。でも大丈夫だから、自分で歩けるから」
、無理するなと言っただろう?」
「通行人Aさん、お疲れさま」
「誰が通行人Aだ」

 ちなみに二階堂兄弟は通行人BとCだったらしいけど、私はその二人を見ていない。もしかして、この男が殺した二人とはあの双子なのでは……と不安が過ぎった。でもあの二階堂兄弟がそんなあっさりやられるかなあ。むしろ息の合った連携で返り討ちにしそうだけど……。とにかく、ここでいくら考えても真相はわからないのだからひとまず私も集合場所へ向かおう。それより尾形上等兵はどこに居るのだろうか。さっきの狙撃はきっと尾形上等兵だ。やっぱり助けてくれた。本人にお礼を言ったら仕事をしただけだとか言いそうだけど、それで私たちが助かったのは事実だ。

「尾形上等兵なら、もう集合地点に居るんじゃないか?」
「……人の心の中読まないでくれる?」

 三島くんが意地悪してくるなんて珍しいことだ。その顔は面白そうににやにやしているものの、二階堂兄弟みたいな不穏さは感じないものだった。周囲の説得もあって渋々ながらも谷垣に負ぶってもらい、予め指定されていた集合場所へ向かう。靴を脱ぐと包帯には少しだけ血が滲んでいて、靴も洗わないとだめかなあとため息を吐いた。

「やっぱり傷口が開いたんだな」
「このブーツ、めっちゃ窮屈だったんだよね」

 普段とは全然違う視線の高さで辺りを見回すと、人だかりのできている場所があった。たぶんあれが集合場所だ。遠くからでもわかる。白い外套を羽織って、右肩に小銃を背負ったその人は私たちに背を向けていた。

「尾形上等兵殿!」

 谷垣の背に乗ったまま敬礼したら、尾形上等兵は私の顔、谷垣の顔、そして私の足元に視線を移してから眉間に皺を寄せた。

「もう傷は治ったと言っていたのはどこのどいつだ?」
「いや自分的にはもう治ってたんですけど、予想以上にこのブーツがキツくて。尾形上等兵殿もちょっと履いてみてくださいよ」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと病院行けよ」
「尾形上等兵殿、連れてってください」
「谷垣じゃ不満か?」
「はい」
「お、おい……」
「まあ不満ではないですけど、あわよくば尾形上等兵殿に背負われたいですね」
「……俺は背嚢より重いものは背負わん」
「大丈夫ですよ。背嚢と小銃背負うのと変わらないですって」
「計って確かめてみるか?」
「それは結構です!」

 結局大人しく谷垣に背負われたまま最寄りの病院へ行って治療を受けたのだけど、そこのお医者さんが暫く歩行禁止とか言い出したので必死に抗議した。あと踵の高いブーツ禁止令も出された。多分もうあれを履くことはないだろうからそれは問題ない。(何故か)お見舞いに来てくれた鶴見中尉や月島軍曹にも訴えたけど、その二人も味方にはなってくれず私は二週間もの間病院に軟禁状態となった。罠にかかったあの男は矢張り津山だったらしく、入れ墨は無事鶴見中尉の手に渡ったと聞かされる。こちらの被害は三人が死亡、私を含め数人が重軽症だったらしい。お姉さんに声をかけられたとき、既に何人かの兵は津山に襲われていたのだろう。結果としては任務は成功だが、あの時異変に気付いていれば、死傷者を出さずに済んだかもしれないという後悔が残る。日露戦争に出征したとはいえ人の死に慣れたわけではない。だが生き残った私たちには、私たちの日常が待っている。薄情なようだけど死を代わることはできないのだ。鶴見中尉から暫くゆっくりしなさいと言われた私は仕方なくこの退屈な入院生活を送ることになったのだが、暇しているだろうと三島くんが気を利かせて本を買ってきてくれた。流石だよ、三島くん。見舞いに来たと言いながら病室で双六やって盛り上がってやがったどっかの双子に三島くんの爪の垢を飲ませてやりたい。せめて私も混ぜてくれたらこんなに苛つかなかったのに。三日目には尾形上等兵も来てくれた。「月島軍曹に言われて来た」と不本意そうにしていたけど、その手に握られているサイダーと金平糖は私の顔を情けないほど緩ませた。

「これ、勿論甘いサイダーですよね?」
「知らん。サイダーはサイダーだろ」

 そう言ってもう一本のサイダーを飲み始めた尾形上等兵を横目に、自分も恐る恐るサイダーに口をつける。……やっぱり、甘くない。旭川の本部には大きな酒保があったけれど、小樽の兵舎は小さいからそんな施設はない。つまりこのお菓子たちは尾形上等兵がどこかの商店で態々買ってきてくれたものなのだ。そう考えるとこの私好みでないサイダーも世界で一番美味しい飲み物に思えた。


「はい?」
「次からは、痛いなら正直に言え」
「……」
「なんだ、その顔」
「いや、足痛いとか甘ったれるなとか言われるかと思ってました」
「俺はそこまで鬼じゃねえ」
「じゃあ今度私が怪我したら、おんぶしてくださいね」
「……背嚢と小銃を持っていない時ならな」
「それ、一生ないやつじゃないですか……」

 がっくりと項垂れていたら、尾形上等兵が椅子から立ち上がる音が聞こえた。もう帰ってしまうのか。……あ、そういえばお礼言ってないや。

「尾形上等兵殿、助けてくれて有難うございました」
「……別に、俺は俺の仕事をしただけだ」
「あはは、それ、やっぱり!」
「……なんだよ」
「すみません、想像してた台詞そのままだったから、つい」
「わかってるなら言うんじゃねえよ」
「いえ、でも、有難うございました。仕事でも嬉しかったから」
「……早く治せよ」

 尾形上等兵が出て行った病室でひとり、貰ったサイダーを勿体ない気持ちでちびちびと飲む。色とりどりの金平糖が入った硝子瓶を掌に乗せて、光に透かすように眺めた。サイダーは無理だけどこれならとっておける。彼が私の為だけに選んでくれたこの可愛らしい砂糖菓子を見ているだけで、たまらなく幸せな気持ちになった。

この世はヴァニタスでできている3