脱獄囚捕獲大作戦!前篇

「軍事政権をつくり、私が上に立って導く者となる」

 日露戦争から帰還した私たち第七師団を待ち受けていたのは思いもよらない待遇だった。重傷を負い帰国して暫く経った頃、師団長が自刃したという信じられない報せが飛び込んできたのだ。その自刃は私たち第七師団全員に責任があるという中央の判断によって、勲章も褒章もなく、ただ冷遇される存在となった。別にご褒美目当てで戦争に参加したわけではないけれど、だけど、私たちは何のために戦ったのだろう。死ぬ思いで戦った結果がこれなのか?と呆然としたのは事実である。奉天会戦で大怪我を負った鶴見中尉はそんな私たちを救うと言った。

「……鶴見中尉って、あんな感じだったっけ?」
「あんな感じって?」
「なんかおでこ白くない?」
「あれは額当てだろ。奉天会戦で大怪我をしたじゃないか」
「なるほど。遠くてわかんなかった」

 隣を歩く三島くんが、白い息を吐き出した。それもしかしてため息?鶴見中尉の有難い演説を要約すると。鶴見中尉先導のもと、軍事政権を作り、私たち第七師団とその家族の窮状を救い出す。その軍資金としてアイヌの埋蔵金を手に入れる……ということらしい。

「ほんとに埋蔵金なんてあるのかなあ?」
「俺にもわからないが……情報将校の鶴見中尉が言うと、本当にある気がしてくるな」

 兵舎に戻ろうとする私を呼び止める声が聞こえ、後ろを振り向く。月島軍曹だ。用があるのは私だけらしく、三島くんは「先に行くぞ」と言い残していなくなってしまった。

「鶴見中尉が呼んでいる」
「え…………」
「お前はすぐ顔に出るな」
「あ、すみません、つい」

 偉い人からの呼び出しなんて、碌なもんじゃない。鶴見中尉の名前が出た途端に顔をしわっしわにした私を見て月島軍曹は困ったように笑った。だが安心してほしい。私は鶴見中尉や他の上司の前でいつも嫌そうな態度をするわけではない。甘えている……といえば少し聞こえが悪い気もするけど、やっぱり私にとってお兄さんのように色々なことを相談できる彼の存在はとても大きいものなのだ。

「鶴見中尉の額当て、あれって特注ですか?」
「……ああ」
「まあ、むき出しじゃちょっと心配ですしね」
「……そうだな」

 月島軍曹は、戦争のあと少しだけ雰囲気が変わった。……ように思う。というのも、誰からも同意を得られなかったからただの気のせいかもしれないのだ。しかし本人に「何かありました?」なんて聞くのも野暮だし、なにより日露戦争の帰還兵に言う台詞ではないことは自分が一番良く分かっている。顔に出るのに定評のある私のことだから恐らく月島軍曹は私が何か気にしていることに気付いているだろう。だけど何も言わない。私も、月島軍曹も。それは尾形上等兵の境遇を初めて聞いたときと同じ感覚だった。私には何もできない。それなら最初から聞かない方がいい。月島軍曹とも、27聯隊の仲間たちとも、この距離感を保っていたい。鶴見中尉の待つ将校室は思いのほか薄暗かった。ちらちらとゆれる洋灯の光をじっと見ている鶴見中尉に向かい敬礼すると一瞬だけ私に目を遣り「座りなさい」と椅子を指された。

「怪我の具合はどうだね?一等卒」
「はい、順調に回復してます。もう任務にも支障はありません」
「そうか……それはよかった。実は、君に頼みたいことがあるんだが……」
「はぁ……?何か、仕事ですか?」
「ああ、一等卒にしかできないことだ」
「……自分にできることでしたら、勿論やらせて戴きます」
「津山、という網走の脱獄囚がいる」

 その名前を聞いて、思わずごくりと唾を飲み込む。津山という囚人は、33人を殺して網走監獄に収監された凶悪犯だ。「網走の脱獄囚」と聞けばうすうすどころか、はっきり予想はついた。つまり、津山を捕まえて刺青人皮を手に入れろ、ということだろう。しかし、どうして自分が選ばれたのだろう。不思議に思っていたら鶴見中尉がそれを察してか津山が今まで殺してきた被害者のことを話し始める。なんとその被害者33名はすべて女性だというのだ。……と、いうことは。

「…………あの、まさかとは思いますが…………」
「そのまさかだ。話が早くて助かるよ」
「す、すみません、やっぱり少し考えさせてもらえたり……」
「大凡の潜伏先は掴んでいる。四日後だ」
「………………………………了解しました」

 鶴見中尉からの指令は女装した私が津山の潜む小樽の街に旅行客として紛れ込みエサとなれ、だ。……え?これだけ?ぽかん、としていたら月島軍曹がフォローするように「周りに兵を配置させるから安心しろ」と言った。けれど、津山を油断させるために私は「ひとり旅」という設定らしい。

「いやだああああああああああああああ!!無理無理無理無理!!絶対死んだ!!!」
「だ、大丈夫だ、お前もちゃんとした女装すれば可愛いと思うぞ」
「そこの心配!?」

 慰めているつもりなのか谷垣が私の背中をぽんと叩いた。それは有難いんだけどちゃんとした女装ってなんだよ、いや間違ってはいないかもしれないけど!ちなみに「ちゃんとした女装」ができる私服は小汚い着物一着しか持っていない。そう言ったら鶴見中尉が「当日までに買っておきなさい」とお小遣い……軍資金を用意してくれた。

「……で、どんなの買えばいいのかな?」
「俺に聞くな……」
「あ~……もう、谷垣でよくない?意外と似合うかもよ?」
「谷垣の女装とかバケモノじゃねえか。エサになるどころか逃げられるに決まってるだろ」
「いやいや二階堂くん、知ってる?可愛いはつくれるんだよ?」
「こんな筋肉隆々な女いねぇよ!」
「もしかしたらガッチリ系女子がお好みかもしれないでしょ!?」
「お前ら、もうやめてやれよ……」
「じゃあ三島くんが見立ててくれるわけ?私のこと可愛くこーでぃねーとしてくれるの?それとも三島くんが代わる!?」

 逆ギレした私に向かい三島くんが静かに「すまん……」と呟いた。谷垣は居た堪れなくなったのか両手で顔を覆っていた。ごめん谷垣……八つ当たりしすぎたよ。でも、これは私の生死をかけた任務だから少し多めに見てほしい。日露戦争帰りの私が言う台詞でもない気はするけど。ちなみに今いるメンバーは全員作戦の参加者だ。正確な人数は私も聞かされていないけど、小隊の半分ほどの人員が関わることになるらしい。そんな大捕物……ますます私の命危なくない?

「どうせなら、尾形上等兵が好きそうなやつがいいんだけど……」
「おい、目的変わってんじゃねえか」

 その尾形上等兵もさきほど鶴見中尉の呼び出しを受けて何処かへ行ってしまった。戻ってきたら好みを聞いておこうと思ったのに、消灯までに尾形上等兵を見つける事はできなかった。





「うんうん、似合ってるぞ、一等卒」
「あ……有難うございます?」

 結局尾形上等兵の好みを聞きだせなかった私は、呉服屋のおばちゃんに今流行りのやつくださいという適当極まりない注文をしたら女袴にブーツ一式を宛がわれた。ブーツなら支給のものを履きなれてるから……と思っていたのだけどおばちゃんが持ってきたブーツは踵ら辺が異様に高くなっていた。これは予想外だ。決行当日、用意ができたことを伝えるため将校室を訪れたのだが鶴見中尉にべた褒めされて嬉しいやら恥ずかしいやら。でも、悪い気はしない。何故か私以上にノリノリな鶴見中尉が「そこで一周してみなさい」と指示を出し、くるりと回ってみせる。慣れないブーツに足がずきずきと痛んだ。しかし私には、尾形上等兵にも見てもらうという最重要任務が残されている。出発までは小一時間ほどあるから、昨夜から見つからない尾形上等兵をなんとしても見つけ出さなくては。一応、今回の任務にも尾形上等兵は参加するらしいのだけど、きっと狙撃手としてかなり後方に配置されることだろう。どうせ津山と対峙した後にはこの着物はボロボロになっているに違いないから、見せるなら今しかない。まあ、見せたところで感想は期待していないけど……。洗面所の鏡を覗き、短く切りそろえられた髪の毛先をつまんでみる。もう少し、髪の毛が長ければなあ。陸軍に居る以上仕方ないものの、女袴にこの短髪はどうなのだろう?やっぱりかつらも用意しておくべきだっただろうか。

「意外と似合ってるな」
「馬子にも衣装ってやつだろ」
「一言多いんだよな~君たちは……」

 途中で遭遇した双子に褒めてるんだか貶してるんだかよくわからない感想を貰っていたら、尾形上等兵が横切るのが見えた。

「尾形上等兵殿!」
「……………………か」
「今絶対、「こいつ誰だ」って思いましたよね?」
「女の恰好していたからわからなかった」
「似合いますか?」
「……そうだな」
「このブーツ、すごく窮屈で足が痛いんですよー」
「お前、足は治ったのか」
「あ、はい。傷はもう塞がってますけど」
「……走れるのか?」
「まあ……大丈夫じゃないですかね?人間には火事場の馬鹿力ってやつがありますから」
「使い方違うだろ」
「でも、ピンチになったら助けてくれるんですよね?」
「……俺は後方待機だ」

 やっぱりそうだよなあ……。わかっていたことだけど尾形上等兵が近くに居ないのは少し心細い気がした。いや、尾形上等兵はいなくても、谷垣たちは近くに待機していると言っていたからきっと大丈夫だ。だって第七師団は陸軍最強なのだから。そして私も、その一員なのだから。日露戦争では右足のつま先に銃弾を受けた。その傷自体はすでに治りかけているし、痛みもなければ歩行にも訓練にも支障はない。けれどこの二十余年の間で履いたことのないかかとが随分と高いこのブーツは矢張り怪我に障るようで、まだ作戦開始前だというのに既に刺す様な痛みがじわりじわりと広がりつつあった。目的地までの馬車の中、三島くんが心配そうな眼差しを向けてきたので、また顔に出てしまったかなと思ってきゅっと唇を引き締める。

「痛むのか?」
「……うーん、ちょっと、痛いかな。ほら、かかとが高いからつま先に体重がかかっちゃって」
「無理はするなよ。手筈通り、危ないと思ったら合図を出せ」
「わかってるって!」
「ハァ…………」
「なんでため息吐くの」
「……別に。それより、拳銃は持ったか?」
「持ちました!」

 元気よく返事をしたら同じく馬車に同乗していた古年兵に「うるせえぞ!」と怒られ肩を竦める。

「どこに隠してるんだ?」
「それがね、すごくいい場所思いついちゃってさ」

 私が隠し場所に選んだのは太腿だった。ここなら袴の裾から見える事もないだろうし、緊急時にすぐ取り出せるのではないかと考えたのだ。これ私、天才じゃない?と得意げに裾を持ちあげようとしたら三島くんが慌てて腕を掴んできた。

「み、見せなくていい!ちゃんと持ってるならいいんだ!」
「冗談だよ、三島くん」
「……全く…………」
、もうすぐ目的地に着くぞ。馬鹿やってないで準備しろ」
「はい」

 小樽の街が前から後ろへと過ぎ去っていく。帰国後初めて訪れたこの大きな街は、戦争なんて別の世界の出来事だったかのように平和に見えた。でもここには確かに居るのだ。大勢の若い女を殺した脱獄囚が。戦争とはまた違った緊張を覚えごくりと唾を飲み込む。大丈夫だ、私は一人じゃない。ちらりと三島くんに目を遣ると、こちらを向いて無言のまま頷いた。

「…………尾形上等兵って、どこら辺にいるのかな」
「お前は本当にそればかりだな」

この世はヴァニタスでできている