突然だが私と月島軍曹は茶飲み友達である。正確には私の淹れたお茶が絶望的に不味いという風の噂を聞きつけた鶴見中尉が面白がって淹れ方を指南するよう月島軍曹に命れ……提案したらしいのだが、真面目すぎる彼はそれを真に受けてしまい、指導という名のお茶会が定期開催されるに至ったのだ。それ、たぶん冗談ですよと上司にも関わらずちょっと呆れ顔で助言したが、真面目人間日本代表月島軍曹はぽかんと口を開けて「そうなのか……?」と零しただけだった。とは言っても、その噂自体は真実なので教えてもらえるに越したことはない。ていうか誰だよ、その噂流したやつは。大方予想はつくけど。
 月島軍曹は多忙にも関わらず息抜きという名目で付き合ってくれることになったので、月島軍曹ってお人よしなんだなあなんて内心他人事みたいに思いながらも実は内心結構嬉しかったりする。きっかけはともかく月一でお茶会を開くくらいの仲である私と月島軍曹は、もう茶飲み友達を自称してもいいと私は思う。……その月島軍曹の頼みとはいえ、これはあんまりだ!やり場のない気持ちをどこにぶつけていいやらわからない私はただ前を行く上官の後ろで人知れず肩をぷるぷる震わせた。
 「茶菓子を買いに行きたいからついてきてくれ」と最初に頼んできたのは月島軍曹だった。とある来客に備えてのことらしいのだが、ついでに自分たちが食べるものも買っておこうと思い立ったそうな。ところが当日になって私が月島軍曹のもとへ足を運ぶと、急用ができてしまったのでお使いに行ってほしいと言われてしまったのだった。月島軍曹が忙しいことは十分承知していたので仕方ないと了承したまでは良かった。それが何故どうして代役を立てるということになってしまったのか腑に落ちない。私はそんなに頼りないだろうか。しかもその代役とはよりにもよって鯉登少尉である。彼について知っていることといえば、良いところのお坊ちゃんで鶴見中尉親衛隊の一員であるということくらいなのだが、ここだけの話いつも不機嫌そうに口を固く結んでいるので少し苦手意識を持っていたりする。……あ、でも第七師団ではそんなの珍しくないか。その代表格である尾形上等兵を思い浮かべてしばし現実逃避していると、鯉登少尉がぴっと振り返って「さっさと終わらせるぞ」と吐き捨てた。それに関しては私も同意だ。

「……鯉登少尉殿にご足労頂かなくてもおつかいくらい一人でできるんですけどね」
「私は貴様の付き添いで来たわけではない」
「えっ、じゃあ何用で?」
「鶴見中尉殿の」
「あ、もう結構です。十分わかりました」

 鯉登少尉の口から最初にでてくるのが「つ」の時点でいろいろお察しだったので彼の言葉を遮って先を急ぐことにした。さっさと終わらせたいのはこちらも同じだ。後ろから「最後まで聞かんか一等卒!」という怒号と一緒に大きな足音が追いかけてくる。仮にも上官に向かって今のはまずかっただろうか、なんてさすがの私も少し後悔しかけたが、すぐに追いついた鯉登少尉からそれ以上小言は飛んでこなかった。よかった。
 宇佐美上等兵もそうだが、彼が鶴見中尉をここまで慕う理由が私にはイマイチわからない。たしかに鶴見中尉には不思議な求心力がある。親身に部下の話を聞き、良い感じの助言を与えてくれることも私は知っている。今その人が欲しているであろう言葉を絶妙なタイミングで与えてくれる、まさに理想の上司ってやつだ。
 それでも彼のように鶴見中尉の写真を持ち歩きあまつさえ暇があれば眺めて物憂げなため息を吐くほどの情熱は私には持てなかった。だがこれを自分に置き換えてみたらどうだろうか、と私は思案する。まず尾形上等兵の写真を入手すること自体の難易度が高すぎてスタートラインにも立てない気がするが、できた、と仮定したならばやはり四六時中穴が開くほど眺めたおして悩まし気にため息を吐いてしまうかもしれない。ある意味で私たちは案外似た者同士なのかもしれないけれど、そんな仲間意識を全面に押し出してへらへら笑ってみせても彼は恐らく同調などしてこないだろう。ていうか、この人たぶん絶対尾形上等兵のこと嫌いだし。しかし原因が尾形上等兵にあることは火を見るよりも明らかだった。私は2人のやり取りを思い出して嘆息する。どうして彼は積極的に敵を作るのか、私はこれを27聯隊七不思議のひとつに推薦したい。

 そんなわけで私たち一兵卒の間では、鯉登少尉の前では尾形上等兵の名前は最早禁句となり果てているのだった。よって、私はただ生ぬるい視線を鯉登少尉に向けるだけである。


***



 本日の任務は3つある。1つ目は来客用の茶菓子を買うこと、2つ目は私と月島軍曹用の茶菓子を買うこと。最後に鯉登少尉の用事であるが、これはまだ聞いていない(というか私が邪魔した)。大方鶴見中尉に献上する上等なお菓子でも探しにいくのではないかと予想していたので目的地は1つ、ないしは2つのはずだ。とりあえず最優先の任務を遂行するため、月島軍曹から渡された手書きの地図を頼りに和菓子屋を目指す。このお店は鶴見中尉が……というよりも第七師団が贔屓にしている和菓子屋らしい。……それにしても落ち着かないなあ。共通の話題が思いつかないせいか、私たちは兵営を出てからほぼ無言状態だった。いや、たとえなにか話題を持ち掛けたとしても鯉登少尉とは話が盛り上がる気なんてかけらもしない。
 この人もちゃんと年相応に笑ったりするのかな、なんて若干失礼なことを考えつつ少しだけ前を歩く鯉登少尉の様子を伺った。さっきまで私が先頭にいたはずなのにいつの間にかこちらが少し小走りで追いかける形になっていて、その背中は迷いなく進んでいく。経験はともかくとして、その身のこなしは立派な将校然としていた。ぱりっとした軍服で堂々と歩く姿は悔しいが自分の百倍は様になっていて、私もつられて背筋を正してしまう。

「だいたい、どうして陸軍に女がいるのだ……」
「お言葉ですが鯉登少尉殿。我が国ではかの有名な巴御前を始め勇敢な女性が合戦に参加した記録がいくつも残ってますし、幕末の会津戦争では女性のみの決死隊が結成されたという事例もあります。それに、外国にも女性兵士が存在していると伺いました。もちろん前線で戦う兵士です。つまり我が帝国陸軍におきましても軍役に従事する女性が居ることにはなんの不思議もなく、寧ろ未だに採用が小規模で抑えられているというこの現状が不自然ですらありまして」
「も、もういい!わかった!」
「まだ途中ですよ!」
「……少しは頭が回るようだな」
「まあ、全部鶴見中尉殿の受け売りなんですけどね」
「……」

 いつかの雑談で「陸軍が女性を採用しているなんて知りませんでしたよ」と鶴見中尉に零したら帰ってきたのがこれである。まさか雑談の中の何気ない一言に対する返事がここまで長いとは思いもよらなかった。後半は鶴見中尉の私見だったが、私がすぐに納得してしまったことは言うまでもない。陸軍に何故女がいるのか?という質問なんて私からすれば知らないの一言だ。だって決めたの偉い人だし。一兵卒の私なんぞがわかるわけもないしもっと言えばあまり興味もない。だが鶴見中尉のお陰で私はそうやって意地悪な質問をしてくる人間に対して明確に返答ができるようになり、大抵の場合さきほどの鯉登少尉のように途中で諦めて引き下がってしまいそして二度と同じ質問などしてこなくなるのだ。恐らくうわっこいつ面倒くせえとでも思われているのだろう。こちらとしては好都合である。
 鶴見中尉の名前を出した途端言葉を詰まらせた鯉登少尉は絞り出すように「卑怯な……」と唸った。どの辺が卑怯なのか私には見当もつかないが、問い質すのも億劫なのでやめておこう。それよりも鶴見中尉から有難いお言葉を頂戴したことに嫉妬される方が面倒かもしれない、なんて頭の片隅で小さな不安を抱いた。

「鯉登少尉こそ、御父上は海軍少将なのに何故わざわざ陸軍に」
「鶴見中尉殿がいたからだ」
「……鶴見中尉殿に何を差し上げるおつもりなのですか?」
一等卒、貴様は甘味に詳しいらしいな」
「え、まあ…………あっ、それでついてきたんですね」
「お前は選定するだけだ。決めるのは私だからな!」
「はいはい、わかってますって……」

 なんとなく月島軍曹の苦労が垣間見えた気がして私は気付かれないようため息を漏らした。鯉登少尉の言動にはやっぱりまだまだ未熟な点が多い。こうやってすぐ感情的になるところとか。まあ、それについては私も人の事言えないんだけど……。だからこちらもついつい雑な対応になってしまう。またしても後悔する私だったが当の鯉登少尉はやはり気にする様子もなくふん、と鼻をならしただけだったのでほっと胸を撫で下ろす。年下の上司ってこう、扱いが難しいんだよなあ。気まずいことこの上なかったので何らかの奇跡が起こってそこの角から月島軍曹が現れてやっぱり同行する流れにでもならないかと期待しながらとぼとぼ歩いたが、当たり前のようにそのような都合の良い事件など起こることもなく無事目的地に着いてしまった。到着早々鯉登少尉は私の存在などそっちのけで鶴見中尉のための和菓子を選ぶべく、商品棚を右から左へと移動していく。

「これはどうだ」
「ああ、それは良く召し上がっているのでたぶんお好きだと思いますよ」
「……何故貴様が知っていて私が知らないのだッ……!」

 鯉登少尉は贈答用の和菓子の箱を潰しそうなほどきつく握ってわなわなと体を震わせ始めたので私は自分の失言を後悔する羽目になった。

「こ、鯉登少尉殿、このカステラなんてどうですか?」
「カステラか。しかし珍しいものというわけでもないな……」
「いやいや、ほら、表面に猫の焼き印が押されててかわいいですよ」
「……鶴見中尉殿は猫がお好きなのか?」
「…………たぶん」
「たぶんとはなんだ、はっきりせんか一等卒」
「ど、動物はお好きなんじゃないでしょうか……」

 とんでもなく適当な物言いをしてしまった私は「ではこれを貰う」と言ってとっとと勘定を払ってしまった鯉登少尉の背中を目で追いながら冷や汗をかく。一応あとで月島軍曹に探りを入れてみよう。それより今は任務を優先しなければ、と気を取り直してずらりと並んだ和菓子に目を戻した。自分が食べたいものならたくさんあるのだけど、人に出すとなると途端に難しくなる。来客時にはそれなりのものを出すべきだろうし…………ここは無難に練り切りか饅頭にしておこう。厳選した2つの和菓子を見比べて吟味しているところに心なしかちょっと上機嫌な鯉登少尉が早く済ませろとでも言うように近づいてきた。

「いつまで悩んでおるのだ」
「いやあ、来客用なので慎重に選ばないといけないと思ったらなかなか決められなくて」
「両方買えばよいではないか」
「……そんな予算ありませんよ」
「ではこちらの練り切りにしろ」
「どうしてですか?」
「茶席には季節感のある上生菓子と決まっているだろう。それに会話の取っ掛かりにもなるからな」
「……ジョ、じょうなまがし」
「そんなことも知らんのか!」

 そんな怒らなくても……と思いつつ私は素直に謝って勧められるがまま練り切りの方を選んだ。無知な私のために、隣の鯉登少尉が上生菓子の説明をしてくれたうえで「今後のために頭に入れておけ!」と助言したが無情にもそれは私の耳から耳へと抜けていく。まさに馬の耳に念仏である。もう一回お願いしますとでも言おうものならまた雷が落ちそうだったので、あとで月島軍曹にもう一度聞くことにして返事だけは元気にしておいた。
 ともかく鯉登少尉のおかげで無事来客用のお菓子も決まったので、あとは自分たち用の茶菓子を選ぶだけ。私は改めて店内を見渡して今度はお手頃そうなお菓子を探す。さきほどの練り切りも可愛くて気に入っているがお値段が可愛くないので却下だ。

「……なんだ、まだ終わりではないのか」
「あ、えーと……これは私と月島軍曹用でして」

 怪訝な顔をする鯉登少尉に事の経緯をかいつまんで説明したら、またしても眉間に皺を寄せた。あれ、やっぱり元からかもしれない。どっちだ?はかりかねて視線も戻せず、私は蛇に睨まれた蛙状態で再びこめかみに嫌な汗が伝う。鋭い目つきで私の背後にある商品棚をゆっくり見渡したあと、鯉登少尉はその中のひとつを手に取った。さきほど来客用にと選んだ練り切りと同じ種類のものだ。

「貴様もこれが食べたいのだろう」
「え……まあ、そう、ですけど……でも予算が」
「今回は私が出してやる」
「えっ!?」
「その代わり、月島との茶会とやらに私も参加させろ」
「…………わ、かり、ました」
「なんだその不服そうな顔は」
「……いやあ、だって、月島軍曹はともかく……私とお茶なんか飲んでも少尉殿には退屈だと思います」
「それは私が決めることだ」
「は、はあ……」

 一体なにが目的なのか。またしてもその真意を探ることができず、訝しげに鯉登少尉を見上げた。本当に私費を出してくれるつもりらしく、懐から財布を出すのを不思議な気持ちで見守っていたが、それに気付いた少尉に「外で待っていろ」と追い払われてしまったので大人しく退散する。鯉登少尉はすぐに会計を済ませて出てきた。手持ち無沙汰な私が店先にしゃがみ込んでいるのを見てなにか言いたそうに一瞬口を開いたが、結局無言で和菓子の包みを突き出される。

「あ、ありがとうございます……」

 ビクビクしつつ受け取って頭を下げたが鯉登少尉はとっくに兵営に足を向けていた。……やっぱりこの人は苦手だ。

最果ての海にいつか見たエメラルド::ハイネケンの顛末



この二人、死ぬほど相性悪そうと思いながら書きました。