ささやくこゑはいかつちのごとく5

 私とおじさんは犬人間に囲まれた状態で柄の悪い青年にひたすら「バカヤロウコノヤロウ」と罵倒されていた。どうしてなのかはわからないが気付いたらそうなっていた。この青年とは言葉が通じないというよりも、話を聞いてくれないと言った方が正しいかもしれない。意思疎通を図ろうとしてくれるだけまだこの外国人のおじさんの方が良心的である。そのうち気が済んだら静かになるだろうかと黙って聞き流していると、隣にいたおじさんが突然「ROME!!」と叫んで右手を青年の方へ突き出した。もちろん私には何を言っているのかわからなかったのだが、青年はぴたりと静かになり直後に二人は固い握手を交わす。今のやり取りのどこで意気投合したのだろうと私は困惑しながら二人を交互に眺めたが、次の瞬間青年は「敵じゃねーか!!」とおじさんの顔面に蹴りを入れた。めギゃッという聞いたことのない効果音がついた気がしたけれどおじさんは大丈夫だろうか。

「もーー敵じゃねえかパスタ野郎!!ドイツさんにあやまれコノヤロウ!!」
「Feram bastardis!!Morieris si non vos latine loqui!!」

 知らない言葉ばかりが出てきて全く話が入ってこない。おじさんに至っては言語すら違うし、と私は再び戸惑った。思いきり顔を蹴られたはずのおじさんも元気に応戦していたのでひとまずは無事なようだけれど、壮絶な殴り合い蹴り合いを繰り広げる二人の男たちをどうやって止めるべきかと考えながら私はおろおろすることしかできなかった。同じようにそれを見守る犬人間たちも言葉はわからないがなんだか憔悴している様子だったのでたぶんあの男が腕力でねじ伏せたのだろうなと想像する。何者なんだあの男は……。とにかく彼は力に相当自信があるみたいなので、喧嘩したところでおじさんに勝ち目はなさそうだ。晴明さんの話を信じるのであれば、彼はおそらく敵……廃棄物ではないらしい。つまり私たちが争う必要はないのであってここで無駄な怪我をする必要もないのだけど、おじさんの言葉がわからないということは十月機関はまだこの日本人の青年とは接触していないのだろう。即ち、彼におじさんが敵ではないということを伝えられるのは私だけである。なんだか責任重大な気がして胃が痛くなる思いだったが、意を決して二人の間へ割って入った。

「二人とも、ちょっと落ち着いてください」
「……なんだあ、てめぇ、女じゃねえか。女がどうして刀なんか持ってやがんだ」
「旧幕府軍の生き残りです、と言えばわかっていただけますか?」
「はァ?ふざけてんのかてめえコノヤロウ!」
「そんなこと……」
「ふざけてるだろうが。幕府ってのは…………」
「……なんです?」
「Inter plana faciem est inutilia, disputatione」
「……だから、わからないんですってば!」
「日本語喋りやがれこのクソジジイ!!」

 つい熱くなってしまい言葉の通じないおじさんへ八つ当たりまがいに怒鳴ったあとで、はっと我に返る。ひとしきり騒いで気が済んだのか定かではないが、日本人の青年も「チィッ!」とだいぶ大きめな舌打ちをかましてふいっとそっぽを向いた。青年の身に着けている見たこともない変な洋服に「菅野直」と記名がある。態度はアレだが随分若そうに見える「菅野直」は紙巻煙草をイライラした様子で吸ったり吐いたりしていた。彼が愛機と呼んだあの大きな「飛行機」は一体どんな原理で空を飛べるのだろう。きっと彼は私より随分後の時代から来たのだと思う。ならば私たちが戦った日本の未来はどうなっているのか、この男は知っているはずだ。……聞きたいけれど、怖い気もする。
 菅野直は外国人を相当嫌っているのか、犬人間たちにおじさんを拘束させた状態で連行した。どこに行くのか、と慌てて聞くと「俺の家だバカヤロウ!!文句でもあんのかコノヤロウ!!」と切れ気味に……いや完全にブチ切れ状態で答えられた。どうしてこの人は常時不機嫌なんだ?「俺の家」と言った天幕の中で、菅野さんは玉座みたいな大きい椅子にふんぞり返る。そして私とおじさんはその目の前に正座させられていた。……なんだこの状況は。まるで将軍に謁見しているかのような緊張感が漂っている。

「てめえら、どういう関係だ?」
「あー……ええと、何から話せばいいのやら……」
「旧幕府軍とかくだらねえ冗談言ってたのはどういうつもりだ」
「冗談とかじゃなくてですね……私は旧幕府軍として箱館に居たはずなんです。それがいつの間にかこんなわけのわからない世界に来てしまった次第でして。菅野さんも同じようなものでしょ?」
「……そのおっさんもか」
「いや、この人はこの前会ったばかりで詳しくは……あ、でも悪い人ではないと思いますよ。私のこと助けてくれたし」
「おい待て、お前なんで俺の名前知ってんだ!」
「そこに書いてあるじゃないですか、かんの、すなお……さん?」
「俺の名前は『かんのなおし』だバカヤロウ!!間違えるんじゃねーコノヤロウ!!」
「はあ……それは大変失礼を……」

 ブッチさんとはまた違う意味で調子の狂う人だなと私は内心頭を抱えた。会ったばかりの私ですらこれなのだから、付き従わされている犬たちの苦労は計り知れない。だがこの世界のことを伝える間は真剣に聞いていてくれたから普段はアレだが本来は聡明な青年なのではないかと推測を立てた。まあそれは有難いのだけど、視線が怖い。

「そんなに睨まないでくださいよ……」
「ああ?睨んでねーよ」
「……素顔でそれですか」
「テメー喧嘩売ってんのかコノヤロウ!!」
「だから!どうしてそんなに血の気が多いんですか!!もっと普通に落ち着いて会話してくださいよ、普通に!!」
「お前も大概じゃねーか!」

 おじさんも犬人間たちも、ばちばちと火花を散らす私たちを遠巻きに見守るだけだったが、暫くして私のお腹が地鳴りみたいな音を立てると菅野さんはぽかんと呆けたような顔になったあと室内どころか森中に響き渡るほどの大声量で爆笑し始めた。

「おまっ…………そりゃねえだろっ……!!だはははは!!空気読めやっ!!」
「し、仕方ないじゃないですか!!昨日からずっと森の中さ迷ってたんですから……!!」
「Hoc certe fuit esuriit……」

 菅野さんがヒーヒー言いながらお腹を抱えて笑い転げている中でおじさんもぽつりと呟いた。まあ何と言っているのかは相変わらずわからないのだけどきっと味方してくれていると思いたい。爆笑の波が収まったころ、菅野さんが目尻の涙を拭いながら近くの犬人間を呼びつけて何かを指示した。暫くして私たちの前に出てきたのは木の実である。菅野さんがそれを顎でしゃくって「食え」と言ったけどその言い方が無性に気に障り私はむっとした顔になる。

「別にお前らが飢え死にしようと俺はどうでもいいけどな!」
「In oboedientia demandaverunt cibum sit scriptor」
「パスタ野郎も食えって言ってんぞ」
「いや、絶対わかってないでしょ」
「うるせえ!!良いから食えってんだよコノヤロウ!!」

 あとあと恩を着せられそうな予感がしたものの飢え死にするよりマシかな……と不本意ながら木の実に手を伸ばす。私たち人間とは味覚が合わないんじゃないかとそっち方面でも心配していたが、出された木の実は意外と美味しかった。

2022/03/02 更新