※書き終わってから思ったけど夢小説っていうかなんなのか不明
※それでもOK!という方はどうぞご覧ください
「女にはなにをやれば喜ぶんだ、浩平」
片割れの思いもよらぬ一言に食事の手が止まる。ぴくりと震えた箸から魚の白身が落ちていった。
「……急に変な事言うなよ。俺が知るわけないだろ、洋平」
「それもそうだな」
素直に同意されるとそれはそれで腹立たしい。隠しもせずムッとした顔を向けたが、洋平の方ではもうその話題は終わったものらしく何食わぬ顔で味噌汁をすすり、沢庵を齧っていた。
俺たちはいつも休日に使う食堂で、いつもの席に座り、いつもの定食を注文した。なんてことない、毎週末の光景だ。だが、女の話題が出たのは初めてだった。一方的に話を切り上げた洋平は何事もなかったかのように目の前の椀を空にしていく。どうも釈然としない。珍しく兄弟に対しての不満を感じながら、俺もさきほど取りこぼした白身を再び箸で拾い上げ、口へ運んだ。一体なんだって急に贈り物の話なんか持ちだしてきたんだ。まさか、惚れた女でも居るというのか。いや、戦争から戻って以来女との関わりなんてほとんどなかった。あってもヨボヨボの婆さんくらいなものだ。四六時中行動を共にしていた俺が言うのだから間違いない。
しばらくして、俺は洋平がなにかを気にしていることに気付いた。飯を咀嚼している洋平の視線は俺の背をを通り越して店の奥へと注がれている。それはなにかを追って右へ左へ彷徨っていた。行儀が悪いぞと注意するより先にその視線は手元へと戻っていく。直後、背後から店員の女が歩いてきた。そのまま通り越して「いらっしゃい!」と、俺たちとはまるで違うカラッとした元気な声で来客を出迎える。その間洋平は今が食事中だということすら忘れたように、ただじっと手元を見つめていた。
「って名前らしい」
「……らしい、ってなんだよ」
「たまたま呼ばれてるのが聞こえた」
「ふーん」
「浩平も一緒だったのに気付かなかったのか?」
「……全く」
店を出てから洋平を問い詰めると渋々ながら打ち明けてくれた。行きつけの飯屋のはずなのに、俺は言われて初めてあの女を認識した。といっても顔はあまりはっきりとは思い出せない。ただ鼓膜をビリビリと震わせる、若い女特有の黄色い声だけが耳に残っていた。
飯屋を出ても兵営にとんぼ返りなどしない。せっかく外出許可を取ったのだから門限のギリギリまで自由を満喫しないと勿体ないだろう。かと言って特にやることもない俺と洋平は当てもなくぶらぶらと小樽の街を歩き回る。その間洋平は女のどこが気に入ったのかをつらつらと話した。俺たち兄弟は口数が多い方ではない。もちろん込み入った話をすることだって稀にあるが、それでもここまで饒舌な兄弟を見るのは初めてのような気がした。いつもなら小樽の街を端から端まで歩き、途中で見つけた公園でだらだら時間を潰し、古兵のやつらの悪口を言い合うという生産性皆無な休日を過ごしていたはずなのに。日常が壊れたようでなにか面白くない。そして秘密を作っていた洋平にも苛立っていた。
「なんでもっと早く言わなかったんだよ」
「浩平に言ってもどうにもならんだろ。俺たち、今まで女に縁なんてなかったんだし」
俺はなにも言い返せず唇を噛んだ。たしかにそうだ。だからこそ俺はあの給仕がどんな女であるかになんてまるで興味がなく、片割れが想いを寄せていることすら気付かなかったのだ。この瞬間からあのどこにでもいる特徴のない「飯屋の女」は「」になってしまった。
「……まさかもう贈り物をするような仲なのか?」
「いや」
途端に洋平の声が沈む。今日のようなすっきりとした青空には似つかわしくない湿り気を帯びた声。それは俺たちが元々持っている性質でもあった。軍隊生活でもなければ、はきはきと喋る必要はない。聞き取りにくいと文句を言われようが、俺たち兄弟が通じ合っていれば良かった。俺以外の人間には、さきほどの洋平のつぶやきも普段通りの愛想のない、ボソボソにしか聞こえていないかもしれない。だが他の誰にもわからずとも、20余年の付き合いがある俺たちにはお互いの声の調子の変化を聞き分けることなどなんてことない。洋平の声色にはたしかに落胆が含まれていた。恐らくとはまだ顔見知りの段階にすぎないのだろう。それを打破して個人を認識させるには直接対決しかないと考えているに違いない。その解決策が、飯屋での発言だったというわけだ。合点のいった俺は今度は真面目に考えてみた……と言っても洋平と同様、女の好みなんて知ったこっちゃないしのことだって顔と声としか知らない状態では妙案など浮かぶはずがなかった。
「とりあえず花でも渡しておけばいいんじゃないのか、洋平」
精一杯の助言をしたつもりだったが、ありきたりすぎて適当なようにも思えてくる。洋平がそんな顔で俺を見ていた。
「安直だな」
「でもよ、他にないだろ。いっそのこと他の奴らにでも聞いてみるか?」
「……それは絶対にごめんだ」
「そうだろ」
いつも二人で解決してきたことも今回に限ってはお手上げ状態だ。かと言って洋平の言う通り、他人に相談するのは憚られる。
「まあ、いざとなったらその辺で花でも摘んで行くか」
「ついさっき安直だとか言ってたじゃねえか」
「なにもないよりはマシだろ」
洋平の横顔を見ただけでは冗談なのか本気なのかわからない。そのあとも俺たちは歩きながら目についたもの、思いついたものを並べて立てていったが、これといったものは出てこなかった。
「こんなことならもっと女の観察をしておけば良かったな」
俺は同意しかねてわざとらしくあくびをしてみせた。いくら洋平のことと雖も今回ばかりは興味が湧いてこない。それとも、俺もいつか洋平のように突然女に対して興味を持つ日が来るのだろうか。……やはり想像がつかない。
次の休日、洋平は単身であの女に会いに行った。結局なにも準備はできてなかった……と思う。少なくとも俺は聞いていない。洋平もなにも言わないまま出かけてしまった。ということはやはり妙案は浮かばなかったのかもしれない。そんなことで大丈夫なのだろうか。まあ、今更俺が不安がったところでどうしようもない話だが。俺はうまくいってほしい気持ちと面白くない気持ちが半々な状態のまま、洋平のいない初めての休日をどう過ごすか考えることにした。
「おっ、なんだ二階堂。今日は一人なのか。珍しいな」
「……まあな」
結局やることもないので茣蓙の上に寝転がり天井を睨んでいると同期のやつらがからかい半分に声を掛けていく。投げかけられるのはほぼ同じ内容だ。適当にあしらえば深く追求されることもないので然程面倒とは思わなかった。だが如何せん、面白くない。この感情がなんなのか、俺はなんとなく察している。嫉妬、というやつだ。生まれてからずっと隣に居た洋平が、つい最近出会ったどこの馬とも知れない女に入れ込んでいる。まるで洋平の中の俺の順位が一つ下がったような、そんな悔しさを感じていた。
夕刻、心なしか嬉しそうな様子で帰営した洋平から「今度二人で出かけることになった」と聞かされた俺の心情はとてもじゃないが穏やかとは言い難い。
「そりゃ良かったな」
「……なんで怒ってんだよ、浩平」
「別に、怒ってねえ」
「じゃあもっと嬉しそうにしろよ。兄弟の人生を左右するかもしれないんだぞ」
「随分大げさだな」
怒ってはいない、と思う。ただ俺は怖かったのだ。洋平が、俺の知らない洋平になっていくことが。ずっと二人一緒だったのに、ずっと二人だと約束したのに。子供じみた嫉妬心が黒い靄となって俺を侵食していく。よく考えればそんなもの、「おおきくなったらけっこんしようね」などというガキ同士の馬鹿げた約束と同じくらい曖昧だ。現に洋平の方はそのしがらみから抜けて新しい世界へ足を踏み出そうとしている。
「悪かったよ。お前とこんな話したことなかったもんだから、どう反応しようかと思ってただけだ」
「……たしかに、妙な感じだな」
きっと逆の立場でも洋平は俺と同じ反応をするに違いない。生憎そんな予定はなかったがその光景は簡単に想像できた。洋平の方も同じことを思ったのか、湿気たせんべいを齧りながら頷く。
「で、見込みはありそうなのか?」
「それをこれから見極めるんだろ」
「なかったら?」
「……」
「まあお前の誘いに乗ってきたってことは、一応向こうにも多少その気はあるのかもな」
「そう思うか?浩平」
「ああ」
洋平を元気付けるためにそう言ったものの、実際に女の反応を見たわけではないので本当のところなどわからない。それでも下手に落ち込ませるよりはいいだろう。励ますように洋平の肩を軽く叩くと「やっぱり浩平に話して正解だった」と薄く笑った。
「誰にも言うなよ、浩平」
「当たり前だろ、洋平」
それから洋平は刺青の囚人を捜索する傍ら偶然を装って女の居る定食屋へ足を運び、休日には一人でどこかへ出かけていくようになった。一方俺はゴロゴロと無為に過ごすことが多くなり、度々兄弟喧嘩を疑われるようになった。もちろん洋平が帰営すれば今まで通り一緒に居ることを奴らも知っているので、単にからかっているだけのようだが。
「今日も喧嘩したのか?二階堂」
「まあな。飯の時間には仲直りするけどな」
そんなやり取りが行われているなどとは知らない洋平は今となにをしているのだろう。寝転んで天井を睨んでいると二人のことが気になって仕方がなくなる。やがて気疲れして目を閉じるが、数秒後にはもう二人の姿が浮かんできた。
洋平は照れ臭いのか、あれ以来の話をすることはなくなった。ただ休日に外出すると決まって俺に土産を寄越す。誰とどこに行ってどうした、などと詳細は一切話さない。俺も聞かない。きっと相談する必要もないほど上手くいっているのだろうと勝手に解釈していた。喜ばしい反面、やはり小骨が喉に引っ掛かったような気持ちの悪さは拭えない。
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「決して貴方が深淵から帰らずとも、」::ギリア