ほうほう、これが噂の紫電改かー、なんて今は飛べなくなった鉄の塊の周囲をうろちょろしながら眺め倒す。
 戦時中の戦闘機なんてゼロ戦しか知らなかった私がこの機体の名前を覚えたのは勿論持ち主による教育の賜物だ。あの日「これってゼロ戦ですか?」なんてうっかり聞いてしまったばかりに「これは紫電二一型だバカヤロウコノヤロウ!」と早速怒鳴られることになったわけだがまあこれが自分の立場だったら確かにムッとするかもなあ。ほら、好きなキャラの名前間違われたらちょっと嫌だし。果たしてこのたとえが的確かはわからないけどとにかく彼にとってこの戦闘機は大事な大事なものらしい。だから誰にも触らせないし、普段なら近づくだけで怒られそうになるのだけどその菅野さんは今絶賛お昼寝中だ。 数日に渡ってその様子を観察していた結果から察するに15分程度なら猶予があるはず……なのだけどここに時計はないので時間はわからない。もう5分くらい経っただろうか?と思っていたら繁みがガサガサと音を立てて誰かが近づいてきたので私はなんと書いてあるのか全く読めない石碑みたいなものの裏に身を潜めた。姿を現したのはやっぱり菅野さんで、私がここにきているのは想定内だったのかいつもみたいに「コノヤロウバカヤロウ」を連呼しながら私を呼んでいる。ああ、隠れて正解だった……と思ったのも一瞬で、菅野さんは一直線に私の隠れている石碑へと大股で歩いてきて速攻で見つかってしまった。どうしてわかったんだろう。

「隠れるのが下手なんだよテメーは」
「……菅野さんとかくれんぼしても面白くなさそうなのはわかりました」
「当たり前だバカヤロウ。俺を誰だと思ってやがる」
「ごめんなさい」
「謝るくらいなら最初から言えってんだこの野郎」
「だって、いつも触るな触るなって言うから……」

 馬鹿正直に触らせてくださいって頼んでも「テメエに触らせられるかバカヤロウ」とでも言われそうな気がしてならないんですが。私の言い訳に無言を貫く菅野さんから視線を外し、ジャングルの中でひっそり佇む彼の大きな愛機を見上げた。操縦席のガラス窓は割れまくってるしプロペラもぐにゃぐにゃだ。普段の菅野さんは台詞の9割が「バカヤロウ」と「コノヤロウ」だけどこれに乗る時はどんな風なのだろうか。自称「優秀な戦闘機乗り」らしいし大尉という階級からしてきっと腕は確かなのだろうけど、全然想像ができないのはきっとその口と素行の悪さのせいである。それでも仲間には恵まれていたらしく元の世界での話を楽しそうに語る彼は唯のその辺にいる若者と変わらなかった。
 もし戦争がなかったら、もし生きたまま戦争が終わっていたら、なんてもしもの話をしてもどうしようもないことだけど、そう考えずにいられないのは服装とこの戦闘機とたまに出る外国に対しての蔑称以外で戦争を感じさせないからだろう。それ以外はもう本当に、普通の……ヤンキーだ。

「見せてやるから、こっち来い」
「……いいんですか?」

 漸く口を開いた菅野さんがぶすっとしながら私を呼ぶ。うわあ、めっちゃ嫌そう。そんなに嫌なら断ればいいのに……あ、断ったらまた私が勝手にちょろちょろするからか。しかしこうやって正式にお許しがでたのだからありがたく乗ろうではないか。待ってましたとばかりにぱっと立ち上がり大股でどすんどすんと歩く菅野さんの後ろについていったが、案の定というべきか「その代わり、次からは勝手にうろつくんじゃねえ」と交換条件を後出しされて今度は私がぶすっとする番だった。だ、だまされた~~!クレームつけてやろうかと思っていたけどそれより僅かに早く菅野さんが「見たいなら俺に言え。別に隠しゃしねえ」なんてガラにもないことを言いだしたのでやり場を失くした負の感情をごくんと飲み込み頷くことしかできなかった。

「ボロボロ、ですね」
「こんなジャングルの中じゃあ修理もできねえ」
「菅野さん、本当にこれに乗ってたんですか?」
「ああ!?だから何度もそう言ってんだろバカヤロウコノヤロウ!」
「本当に戦争してたんですね」
「…………お前のいた時代は、平和だったのか」
「おかげさまで」
「そうかよ」

 いつになくしおらしい雰囲気の菅野さんは笑っていた。泣いているようにもみえた。どちらだろう?なんて顔を覗きこんだらすぐにいつものキレ顔に戻ったので見間違いかもしれない。チッとわざとらしく舌打ちした菅野さんが慣れた様子で胴体に足をかけ、操縦席へと入っていくのを見て私は素直に感嘆の声をあげた。

「おい、ぼさっとしてねえで早く上れ」
「え?」
「だから、操縦席見せてやるってんだよコノヤロウ!」
「……上れって……言われても、どうやって?」
「そこに左手掛けろ」

 指示されたとおり手足を掛けていくと菅野さんほどスマートに、とはいかなかったがなんとか操縦席までたどり着くことができた。しかし、ここまで上るだけでも結構な重労働だ。差し伸べられた手を取り菅野さんに背中を預けるような形でそこに座ると今までみたことのない景色が広がっていた。

「これが操縦桿、ここを押すと機銃が撃てる」
「中まで傷だらけなんですね……」
「それは俺がやった」
「え、どうしてですか?」
「こいつが勝手にエンジン止めやがったからぶん殴ってやった」
「愛機とは」
「俺の愛機が戦場のど真ん中で止まっていいわけがねえだろバカヤロウ!」
「パワハラ……」
「ああ?」
「いやなんでもないです」

 斜め上を見上げるように置かれた紫電改の操縦席からはジャングルの木々と綺麗な青い青い空だけが見えた。菅野さんが熱心に、でも淡々と機内の機械をあれこれ説明しているのを聞き流しながら元の世界の菅野さんはこの遠い空を飛んでいたんだなあなんてぼんやり考える。太陽の光できらきらと閃く木の葉も亀みたいにゆったりのんびり流れる白い雲もこんなに綺麗なのに、それなのにここに座ってみると言い知れない不安に襲われて操縦桿に置かれたままの菅野さんの手をきゅっと握りその存在を確かめた。BGMみたいな菅野大尉による戦闘機講座がぴたりと止まる。
 私は怖かったのだ。この飛行機の中、窓を閉めてしまえば一人きりだ。仲間たちはいただろう。けれど、だとしても、死ぬときは一人なのだ。学校のみんなで聞きに行ったおじいさんの戦争体験談で感じたそれとは違う種類の恐怖と悲しさがこみ上げ、私は一人じゃないことを確かめたくて彼の存在を感じたくて堪らなくなった。「どうした?」と菅野さんは言ったけど私は答える事ができない。何て言ったらいいのだろう……言葉にできない色んな感情がぐるぐると駆け巡っているせいで口を開いたら泣いてしまいそうだ。
 だから代わりに重ねていた手に力をこめた。いつもみたいに「なんとか言えよコノヤロウ」なんてKY発言もなく、私は菅野さんがいざというときは空気の読める人だということを知った。

「ここから見る景色は綺麗だろ」
「……はい」
「俺は元の世界でずっとこれを見てた。羨ましいだろ?」
「……でも、少し怖いです」
「そんなんじゃ戦闘機なんか乗れねえぞバカヤロウ!」
「いや乗らないし……」
「こいつがまた飛べるようになったら、乗せてやるよ」
「どう見ても一人乗りにしか見えないんですけど大丈夫なものなんですか?」
「気合と根性だ!」

 昭和ど真ん中の人間怖すぎ……と少し引いたけど今までの彼はきっとそれでいくつもの戦場を乗り越えてきたのだと思うと心強くもある。……これ使い方合ってるのかな?全くブレずいつも通りの彼に安心して小さく笑ったら、菅野さんは空いている方の腕を私の身体に巻きつけて自分の方に引き寄せた。この体勢結構恥ずかしい、と今更気づいてしまったけどこんな狭い空間では身じろぎもままならない。せめて心臓の音が伝わらないようにと一生懸命呼吸を整えながらも菅野さんへ体重をかけたら「重い!」と言いつつ受け止めてくれたので私は満足して目を閉じた。
 悔しいけど、口が悪くてジャイアンでヤンキーのくせにかっこいいという危ういスペックを持ち合わせた彼を好きにならないなんて到底無理なことだったのだ。

「私も菅野さんと同じ空を見たい」
「お前、さっきまで怖がってたじゃねーか」
「菅野さん見てたら、なんか……どうでもよくなってきました」
「喧嘩売ってんのかテメー、上等だコラ」
「違う違う、いい意味で!いい意味ですって!」
「……そうかそうか、俺と一緒なら安心だってか」
「うーん、間違ってはいないんだけどそんな自信満々に言われるとなんか、違う」

 普通に生きていたらまず間違いなく出会うことなんてなかった私たちが出会ってしまったのはどうしてだろう。彼が私の不安とか恐怖とかそういったものを拭い去ってくれるというなら私には一体なにができるのだろう。人と人はギブアンドテイクの関係である。今のところ与えられてばかりの私だけど菅野さんが笑っていてくれるならなんでもやるよ。できる範囲で。口には出さずそう誓った私に菅野さんが「寝るか」と言いその3秒後には豪快ないびきが聞こえたので内心うるさ……と思いながらも微睡みに身を任せた。

長閑な霹靂神